投稿者 : takatani 投稿日時: 2012-05-06 21:40:05 (743 ヒット)
デボーションの友

 

2012/05/7(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 ヘブ 4:14-16 賛美 聖歌612
 「わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」と述べた著者は信仰をしっかり保つべき理由として「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」と述べる。当時、厳しい試練の中に在って信仰の試みを受けていた人々の中には、御子は神ご自身であられるから、肉の弱さを持つ私たちの試練を理解することはお出来にならないのではないか、と考える者たちがいた。これに対し著者は御子の遭われた試練は「わたしたちと同様」の試練であったと述べている。著者はまた5章7節において「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」と述べている。真の人となられた御子が遭われた試練はわたしたちと同じ、否それ以上のものであり、それゆえ、わたしたちの弱さを理解し、同情してくださるお方である。このことはわたしたちに大きな励ましを与えるのである。
 


 

2012/5/8(火)担当 高谷満世師 サムエル記上19:1-24 賛美 聖歌460
 サウルは何度もダビデを殺そうと企てた。18章ではダビデを戦場に送ることによってペリシテ人に殺させようとしたが、19章ではサウルのダビデに対する殺意はさらに強まり、家臣に命じてダビデを殺させようとしている(19:1)。しかし神はサウルがダビデを殺そうとするたびにさまざまな方法で彼を守られた。ヨナタンを通してサウルを説得し、またダビデ自らがサウルの槍から身をかわし、またミカルを用いてダビデをサウルから逃がし、さらにはサムエルを用いてダビデを守られた。神のご計画を妨げようとする働きは常に起こる。そして神に用いられる僕が危険にさらされることもある。しかし、いかなる人も、力も神のご計画を阻止することはできない。神は選びに答えて忠実に従う者を、出来事の背後にあって必ず守られる。
 神は沈黙しておられるように見えるときにも確かに主とともに歩む人々を守り、導き、みこころを成し遂げられる。主のご計画が今も進められていることを信じて歩もう。
 


 

2012/05/09 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:14-16 賛美 聖歌 447
 もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられていること、この大祭司は罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた故、わたしたちの弱さに同情してくださるお方であることを述べた著者は「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」と勧める。これは祈りの勧めである。それは大胆に恵みの座に近づくことである。整った祈り、型にはまったよそよそしい祈りではなく、人間に差し迫って必要なものを求める率直で真心からの叫びをもって天の門を攻めたてるような祈りである。その祈りは「わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」と語られたように、御子の贖いの御業を基礎とする。人間は罪あるものであって決して神に近づくことはできない。罪の許しを与える御子の血潮を通してのみ、可能なのである。しっかりと信仰に立って恵みの座に近づこう。
 


 

2012/05/10(木)担当 高谷満世師 サムエル記上20:1-42 賛美 聖歌522
 サウルの度重なるダビデ殺害の企ての後、ついにダビデがサウル王のもとから逃亡する時が来た。ダビデは王のもとから逃れるに当たり、最終的にサウルがダビデに明確な殺意を抱いていることを確認した。ヨナタンはダビデのためにサウルの怒りを買ってまで王の真意を確かめた。王はヨナタンにも激怒した時に、ダビデが生きている限りヨナタンの王権が確かではないと語った(20:31)。それは王位継承者であるヨナタンにとってはまったく正当な論理であり、ヨナタンがこれゆえにダビデの命を狙おうとしても不思議ではなかった。しかしダビデとヨナタンはかたい友情でむすばれており、さらに二人の間には主がおられた(20:13-15)。
 人間的に見て対立が生じるようなところにも、両者が神を認めて神に従うならば、そこには真の愛と友情があり、平和がある。神はこのように心から神を愛する人々を通して神に仕える者を守り、神のご計画を確かに進められる。私たちも兄弟姉妹の間で、互いに主を認めながら主に喜ばれる友情を築きたい。そこに主が働かれる。
 


 

2011/05/11(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:14-16 ・創世記32:23−33 賛美 聖歌556
 祈りと言うテーマはあまりに重要であるのでしばらくこの箇所にとどまって深めてみたいと思う。まず目を向けたいのはヤコブのペヌエルでの格闘である。これ以前のヤコブはあまりにも狡猾で自己中心の人間であった。母親と組んで兄エサウの長子の特権と祝福を奪い取り、兄エサウから命を狙われる羽目に陥った。そのためハランに住む伯父ラバンのもとに逃亡する。その所において、持ち前の狡猾さによって一定の成功を収めたヤコブは故郷に帰るべく旅立つ。しかしそこには命を狙うエサウがいる。彼はヤコブの帰還の知らせを聞いて400人を率いてヤコブの方に向かっているという。恐怖に襲われたヤコブは一人ヤボクの渡しの手前にとどまって思案にくれていた。そこに神が現れ、彼は神と格闘した。夜明け直前まで格闘しても決着がつかず、神はヤコブの腿の関節を打たれた。それによって狡猾なヤコブは砕かれ、神の人、イスラエルと変えられたのである。わたしたちの祈りは神と真実に向き合うものであるべきである。
 


 

2012/05/5(土)高谷由紀子師 ペトロの手紙1:23-25   賛美 聖歌321
 この地方ではここ数日トラックターや草刈り機の音が響いています。農家の人々が田植えの時期を目前にして、その準備の作業にいそしんでいるのです。神様は六日間の働きによって天地を創造されました。そして人をエデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされました。労働は堕落以前から人に与えられた祝福であり尊く素晴らしいものです。人の罪によって呪われるものとなった土は茨とあざみを生えいでさせるようになり、労働は苦しいものとなりました。しかし主の血潮によって罪から解放された人々には、その労働に祝福と喜びが与えられているのです。神様によって与えられた仕事に確信と誇りを持って励みましょう。


投稿者 : takatani 投稿日時: 2012-04-29 22:52:45 (892 ヒット)
デボーションの友

 

2012/04/30(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 ヘブ 4:14-16 賛美 P&53
 この箇所から著者はキリストの大祭司職について述べる。キリストの大祭司職についての第一段落は「大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」と言う祈りの勧めである。わたしたちが恵みの座に近づくことができるのは「もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられている」からである。キリストは初めから父なる神と共に居られ、神の御計画によって人となり、地上をわたしたちと共に歩んでくださり、ご自身をわたしたちの罪の贖いの供え物として献げ、死んで葬られ、黄泉に下り、死人の内よりよみがえり、天に昇り、神の右に座し、今も私たちのためにとりなしていてくださるお方である。地上において多くの大祭司が立てられたが、天に昇った者はキリストの他にはいない。キリストは偉大な大祭司である。それ故、わたしたちはキリストに在って大胆に恵みの座に近づくことができるのである。
 
2012/5/1(火)担当 高谷満世師 サムエル記上18:1-16 賛美 聖歌477
 「主はダビデとともにおられた」。この箇所でこのように何度か語られている。主がダビデとともにおられたので、ダビデはどの戦いにおいても勝利を収めた。そしてダビデの活躍を見た人々は皆ダビデを愛した。戦いから帰還したダビデを人々は熱狂的に出迎え、サウルの息子ヨナタンもがダビデを愛した。それはまさに神がダビデを選んでおられたという証であった。対照的に、神に捨てられたサウルはダビデの活躍と、人々がダビデを愛し賞賛することが恐ろしく感じられ、その思いがダビデへの敵意となった。
 この二人の姿を見るとき、それはサウルとダビデが元来持っていた能力の問題ではなく、二人の背後におられる神の召しの問題であることが分かる。神に選ばれた者が忠実に神に仕える時、祝福され、主の働きのために用いられる。私たちは神に選ばれた者として、神に応答し、忠実に歩んでいるだろうか。今日も主のみこころをなすよう、主に従おう。

 
012/05/2 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:14-16 賛美 主をほめよ86
 大祭司の務めは神と人の間に立って仲立ちをすることである。祭司は人間の側に立ってその求め、必要、祈り、ささげ物を携えて神の御前に出る。また神の側に立って神のメッセージを伝え、御心を告知する。従って完全な大祭司であるためには神であり、人であることが求められる。著者はここでキリストを「神の子イエス」と呼ぶ。このお方は神の御子であられたが、肉体をとって人となられたお方であり、従って真の神であり、真の人であられる。このおお方だけが真の大祭司となることのできるお方である。パウロは「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです(汽謄2:5)」と語っている。ペトロもまた「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです(使 4:12)」と語っている。わたしたちが神に近づき救われることのできるのはこのお方による以外には無い。

 
2012/05/3(木)担当 高谷満世師 サムエル記上18:17-30 賛美 聖歌487
 ダビデはサウルの娘ミカルを妻としてサウルの婿となった。ここに至るまでにはさまざまな出来事があった。主がともにおられるダビデの勝利と人々から愛される姿を見たサウルは恐れていた。サウルは主がすでに自分を捨てられたことを知り、霊においてダビデの勝利と名声は主の御業であることを知っていた。しかしそのことをサウル自身が受け入れることはできなかった。神がすでに自分を捨て去られたと知っていながら、なおその地位にとどまることを求めた。自ら神に背いたために神に捨てられたと知っていながら、サウルは悔い改めることをせず、むしろ神に与えられたものを自分の力で守ろうとした。
 神に選ばれたことは私たちの服従なくして生涯自動的について回るものではない。神に選ばれた者には神に従う責任もまた与えられている。私たちは自分の手で祝福を保とうとするのではなく、常に神に忠実に歩むことをまず求めていきたい。自らの弱さのゆえに神にそむいてしまった時には悔い改めて神の赦しを求めよう。主とともに歩み続けたい。

 
2011/05/4(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:14-16   賛美 聖歌608
 著者はここで「わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか」と勧める。十字架に架かり死なれたお方には、信仰なき人々の目にはただの犯罪人の刑死にしか映らなかった。先日「キリストは初めから父なる神と共に居られ、神の御計画によって人となり、地上をわたしたちと共に歩んでくださり、ご自身をわたしたちの罪の贖いの供え物として献げ、死んで葬られ、黄泉に下り、死人の内よりよみがえり、天に昇り、神の右に座し、今も私たちのためにとりなしていてくださるお方である」と書いた。これは神の啓示によってのみ知り得ることであり、聖霊の助けと導きによってのみわたしたちの内に信仰として宿るものである。世には私たちをこの信仰から引き離そうとする力が強く働いている。また、この信仰にとどまっているつもりでもそれが観念化してわたしたちの心と有機的関係を持たなくなってしまうことがある。この信仰が絶えず私たちの心と結び付き生きて働くためには、聖霊との不断の交わりが必要である。

 
2012/05/5(土)高谷由紀子師 ペトロの手紙1:23-25   賛美 聖歌322
 この箇所には「迷い出た羊」の譬話が記されています。「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」とイエスは言われました。100匹もの羊を持っているなら1匹ぐらいいなくなっても大したことはないと人は思います。この世においては物事の価値の有無や量の多少、力の強弱によって評価され決定づけられることが殆どです。イエス様は「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」と言われました。また主は「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。(ルカ 15:7)」と語っておられます。滅びゆく魂を重荷とし、あきらめることなく愛と忍耐を持って福音を証しするよう励みましょう。


投稿者 : takatani 投稿日時: 2012-04-23 00:08:11 (887 ヒット)
デボーションの友

 

2012/04/23(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 ヘブ 4:1-11 賛美 聖歌589
 ここで著者は「だから、わたしたちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません」と語る。福音はわたしたちが救われるのは、わたしたちの行いによってではなく、神の恵みによることを解く。それを聞いた人々の内から「救いは神の恵みによって一方的に与えられるのであるから、わたしたちは何を行ってもよい、どのような罪を犯してもよい」と考える者や、救いは自分の行いに関係なく自動的に与えられると考える者が現れる。これに対し、わたしたちがこの安息にあずかるためには努力することが必要であることを語る。パウロもまた「すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります(ロマ 2:7-8)」と教えている。またほかの個所では「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい(ピリ 2: 12)」と勧めている。今日も全力を注いで励もう。


 

2012/4/24(火)担当 高谷満世師 サムエル記上17:12-40 賛美 聖歌498
 少年ダビデは兄たちが戦う戦場に来て、一人の大男ゴリアテの言葉を聞いて恐ろしさの余り震えあがってどうすることもできないでいるイスラエルを見た。そして、イスラエルの兵との対話の中でダビデは、全く無割礼のゴリアテを恐れていないと語る。ダビデはサウルの前に召しだされ、ゴリアテと一騎打ちの戦いをすることとなった。
 これは物事を理解しない、知恵の浅い少年の愚かな振る舞いだったのだろうか。もしダビデが毎日家畜を守ってきたという自らの力とキャリアだけを頼みにしてそのように考えているのなら、この上なく愚かな少年だっただろう。しかしダビデの確信はこれまで様々な獣から自分を守ってくださった真の神への信頼、信仰があった。
 無謀な振る舞いと信仰に裏付けられた行動はしばしば表面的には同じに見える。私たちは自分の能力に頼らず、神の力を信じて、頼って、そして今日もダビデのように信仰をもって一歩を踏み出したい、 


 

012/04/25 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:12 賛美 聖歌196
 「神の言葉は生きており、力を発揮し」と語られる。ステファノは「この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉(口語訳・生ける御言葉)を受け、わたしたちに伝えてくれたのです(使 7:38)」と語っている。またイザヤ書においては「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす(イザ 55:11)」と語られている。神の言葉は、生きておられる神ご自身の言葉であるゆえ、力があり、わたしたちの心の奥底まで極め、見分けることができる。それ故、わたしたちは人には偽ることができるとしても、神の前には偽ることはできない。更に神の言葉は自分が気付かない罪をも示し、気付かせてくださる。常に御言葉にとって自らを吟味し、御心にそう歩みをしてゆこう。 


 

2012/04/26(木)担当 高谷満世師 サムエル記上17:41-58 賛美 聖歌522
 今まさに一騎打ちの勝負をしようとする二人を見比べると、その差は歴然としていて、すべての人にとってゴリアテの勝利は間違いないものと見えた。ゴリアテもイスラエルから出て来たこの少年を見て侮っている(42節)。しかしダビデは揺るがない確信を持っていた。
 常識的に考えて歴然とした力の差があるとき、それは弱い立場の人にとっては恐れを引き起こす。しかし、神にとってはその力の差こそが、神の力と栄光を示すためのすばらしい舞台となる。人間の手には負えない不利な状況にあってこそ神の完全な勝利が示され、そのことを通してすべての人が神を認め、神の救いが示される。
 目の前にある状況を見て自分はだめだとあきらめているならば、私たちは信仰の目を失っているのである。あらゆる状況において勝利することができる神、そして御心に従って、また私たちの祈りと信仰に応えて勝利を表して下さる主を信じて、今日も宣言していこう。「この戦いは主のものだ」(47節)。 


 

2011/04/27(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 4: 13   賛美 聖歌553
 前節において神の言葉は、生きておられる神ご自身の言葉であるゆえ、力があり、わたしたちの心の奥底まで極め、見分けることができることを教えられた。本節において著者は「この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません」と語り、更に9章において「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」と述べている。またペトロは「彼らは、生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません(汽撻 4: 5)」と述べている。すべての人は、人の心の深みまでも見極めておられる神のみ前に立ち、自分自身のすべてについて申し開きをしなければならない時のあることを思い、人の目を適当にすり抜ける歩みではなく、心底から真実な歩みをしなければならない。 


 

2012/04/21(土)高谷由紀子師 ペトロの手紙1:23-25   賛美 聖歌322
 春になってあちらこちらで色鮮やかな美しい花が咲き誇っています。しかしこの美しさもしばしのもの、やがて萎れ、枯れてゆきます。この自然の移り変わりを見ながら、わたしは聖書の言葉に思いをよせています。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」わたしたちは罪と咎によって死んでいたものでしたが、キリストの尊い贖いの恵みによって「朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」。わたしたちはこの尊い、永遠に変わることのない神による命を与えられていることを感謝して日々前進しましょう。


投稿者 : takatani 投稿日時: 2012-04-15 22:44:23 (873 ヒット)
デボーションの友

 


2012/04/16(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 ヘブ 4:1-11 賛美 聖歌560

 この箇所で語られる「神の安息」について考えてみよう。「安息」は、後ろに向かって、創造の善き業が完了したときの神の「安息日の休み」を指し示す。また前に向かっては、「こうして天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(フィリピ2:10-11)と記されているように、完成された贖いの業を指し示すのである。しかし「安息」は、始めと終わりに適用されるだけのものではない。安息は、今の時の只中におけるキリスト者のうちに与えられる、神の意志に与っていることへの静かな確信(4:3) でもある。クリスチャン生活に在って「安息」とは戦いのないことではない、戦いをやめることではない、戦いの真只中に在って、神にあることへの確信である。ステファノは迫害の中に在って感謝と喜びの内に殉教の死を遂げた。パウロとシラスは苦痛の中に在って神を賛美した。主は十字架を前にして「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな(ヨハ 14:27)」と語られた。神に対する、御言葉に対する確信こそが安息をもたらす。

 



 


2012/4/17(火)担当 高谷満世師 サムエル記上16:14-23 賛美 聖歌295

 神から捨てられた王サウルと、神によって密かに油注がれたダビデの出会いである。サウルが主に捨てられた後、主の霊が彼から離れ、災いもまた主によって与えられた。その中でサウルが竪琴の名手を探していた時に家臣の提案によりダビデが王宮へと連れてこられた。サウルはダビデを仕える者として召した。この出来事に関わるサウルや兵士の目からは他の人々が王に仕える者として選ばれるときと同じ過程に見えた。しかし実際には神がすでに選んでおられ、油注がれたダビデが召されていた。

 人の目には見えない部分でも神のご計画は前進している。人が自分で事を進めていると考える背後に確かに神は働いておられる。私たちも日々主の御手の中にあって導かれ、歩んでいることを覚え、今日も主のみこころがなるようにと祈りつつ歩もう。

 



 


012/04/18 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:1-2 賛美 聖歌458

 「彼ら」とは神の言葉を聞き、モーセに率いられてエジプトを出た人々である。彼らにもわたしたちにも福音―神の安息に入る道―が与えられていた。しかし彼らはそこに入ることができなかった。それは彼らに語られた福音が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためである。

  ルカは次のような出来事を伝えている。イエスが会堂長ヤイロの願いにこたえて彼の家に向かっておられた時、12年間病に苦しみ、医者に全財産を使い果たした婦人がイエスに信仰をもって触れた時、彼女の病は癒された。『イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカ 8:45-48)』

 多くの人が福音を聞く。しかし御言葉が生きて働き、御業が成就されるのは御言葉が信仰によって受け止められる時だけである。

 



 


2012/04/19(木)担当 高谷満世師 サムエル記上17:1-11 賛美 聖歌490

 イスラエルは今戦闘状態にある。まさにペリシテ軍と向き合っている。その時、ペリシテ人の中から一人の屈強な兵士が進み出た。体格が立派であっただけではなく、頑丈な武具でしっかりと身を固め、さらに攻撃用の武器も手にしていた。イスラエルがどこから彼を攻めようとしても、攻める隙が見つけられないばかりか、この大男はいつでも攻撃する用意が整っていた。自らが有利だと知りながら、ゴリアテは自分と一騎打ちをするものは居ないのかと呼びかけた。これは単なる呼びかけではなく、ゴリアテ自身に対抗し得る兵士がイスラエルには居ないと確信したうえで投げかけた愚弄の言葉でもあった。そしてダビデが出てくる時の言葉により(37節)、ゴリアテがイスラエルの背後に居られる神をも愚弄していることが分かる。

 目の前に巨大な敵が現れ、脅しの言葉を投げつける時、私たちは思わず恐れ惑い、逃げたくなる。そのような時ふと自分の心を顧みるならば、神に頼ることを忘れ、自分の弱さを見て畏れ惑っている。サウルやイスラエルのように神を忘れるのではなく、逆境と恐れの中に居る時こそ、神を信頼して祈り、助け求めるものになりたい。

 



 


2011/04/20(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 4:6−11   賛美 聖歌621

 イスラエルの民が神の安息にあずかることに失敗したのは、彼らに告げ知らされた福音のことばが、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためであったと言われている。聖書に啓示された福音のことば―神の安息に入る道―とは、天地創造から新天新地に至る壮大な神の御計画である。人はその長大な時間の一駒を生きるのである。わたしたちは主イエスによるあがないの恵みの中に生かされている。しかし救いの完成の時、主の再臨の時はなお未来に属している。現実には「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊」の支配下にある世にあって苦難の歩みを強いられている。「主の再臨は近い」と語られてから、人間の目から見るなら長い年月が経過した。このような状況下に生きる私たちが信仰の目をそらすなら「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか(競撻 3: 4)」という不信仰者のことばに心惹かれ、信仰の破船に陥る危機を招くのである。忍耐をもって堅く信仰に立とう。

 



 


2012/04/21(土)高谷由紀子師 マタイによる福音書13:8   賛美 聖歌322

 長引いた寒さも去り、春爛漫の好季節である。この時期はまたカボチャ、茄子、トマト、胡瓜、ピーマン等の夏野菜の種まき、植え付けの時でもある。人々は多くの収穫を夢見て種をまき、苗を植え、水をやり、雑草を取り除き肥料を施し害虫を駆除し・・・等々、労苦を惜しまない。主イエスは種まきの譬えの中で「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった(マタ 13:8)」と語られた。わたしたちも多くの収穫を期待して日々福音を伝え、御言葉の種をまきましょう。


投稿者 : takatani 投稿日時: 2012-04-08 23:51:48 (783 ヒット)
デボーションの友

 


2012/04/09(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 3:12-19  賛美 心の中でメロディを20

 著者はここで「あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい」と警告する。「信仰のない悪い心」とは不信仰である。信仰者が信仰を持ち続けるためには多くの戦いがある。信仰者が信仰をもち続けるための戦いについて主は種まきの譬え(マタイ13:1−23)において語っておられる。とりわけ、日本のような異教の国に住む信仰者にとっては、戦いは大きい。若い時はそれほど切実ではないとしても、家庭をもち、社会的責任(地域的・親族的)が増すにしたがってその戦いは増大していく。また信仰の先輩に対する躓き、等わたしたちを不信仰に陥らせようとする要素は枚挙にいとまがない。またイスラエルの荒野の旅路において不信仰に陥り、神に反抗した人々についても、渇き、食物等理由はあったであろう。しかしそれらをもって不信仰を正当化することはできないのである。堅く信仰にとどまろう。

 



 


2012/4/10(火)担当 高谷満世師 サムエル記上16:1-5前半 賛美589 聖歌

 サムエルはすでに主に退けられたサウルを惜しんでいた。しかし主はそこにとどまることを良しとされず、次の王に油を注ぐために出かけていくよう命じられた。これはサムエルにとっては気の進まない難題であった。このことによってサウルに命を狙われる危険性も感じていただろう。

 私たちは普段、主に仕えることの祝福に注目することを好む。聖書の中で主の僕たちが人々から受け入れられ、尊敬される姿に目が行く。しかしこの時のサムエルの状況は、時として主に仕えることは命がけであることを教えてくれる。主に従う中で、命の危険を感じるほどの状況において、それでも主に仕える献身を必要とすることもある。そのような奉仕においてすら神は私たちを守るために必要な知恵を与え、その奉仕をさせてくださる(2-3節)。

 困難な奉仕が求められることがあっても、主に信頼し、主に知恵を頂き、主の言葉を信じて歩もう。

 



 


2012/04/11 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 3:12-19 賛美 聖歌340

 続いて「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい」と勧められている。わたしたちは日々不信仰―罪との戦いを強いられている。また罪は、そして誘惑者―悪魔はしばしば光の天使に偽装して迫ってくる。それらから守られるために教会の交わりを絶やしてはならない。教会の交わりにおいてこそキリスト者は互いに祈り合い、教え合い、助け合い、励まし合って勝利し正しい道に歩むのである。著者は10章においても「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか(ヘブ 10:25)」と言っている。

 



 


2012/04/12(木)担当 高谷満世師 サムエル記上16:5後半-13 賛美 聖歌578

 サムエルはいよいよエッサイの息子たちと会い、その中から主に選ばれた者に油を注ぐ時が来た。長男エリアブはかつてのサウルのように(9:2)立派な姿であった。しかし神はエリアブと他の六人の兄弟を選ばれなかった。彼らの容姿は優れており、人の目には素晴らしいリーダーになる器として映ったが、神は人が見るのとは違った見方で見られる。かつてギデオンを選んだように、神は弱いものを選ばれる。また苦難の僕の姿が傷にまみれ、苦しみを受けて人の目には華やかでなかったように、外見上、人が選ぶのとは異なる基準で神の選びはなされる。サムエルも最初は姿の美しい兄を見て神の選びの器だと思った(6節)が、神はサムエルを導いてご自身が選ばれたダビデに油を注がれた。そしてその日からダビデには主の霊が激しく下り、主がともに居られることが示された。

 私たちはどうしても人の外面によってその人が主の働きにふさわしいか判断したくなる。それは他者に向けられることもあれば自分に向けられることもある。しかし神の選びは人の選びとは基準が違う。神との交わりの中で常に主の導きを求めよう。

 



 


2011/04/13(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 3:12-19   賛美 聖歌396

 「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです」と語っている。「キリストに連なる者」とは12:28で語られる「揺り動かされることのない御国」を受け継ぐ者のことである。そうなるためには「最初の確信を最後までしっかりと持ち続ける」ことが必要である。イスラエルの民は神の声を聞き、モーセに率いられて意気揚々とエジプトを出た。しかし試練の中で大多数の人々が不信仰に陥り、神に反抗し、約束の地に入ることができず、死骸を荒れ野にさらしたのである。福音を聞き、キリストを信じ、救いの恵みに与かった私たちにも、御国に入れられるまでの旅路には多くの試練が待っている。わたしたちは終りの日まで救いの確信をしっかりと持ち続け、御国を受け継ぐ者とされよう。

 



 


2012/04/14(土)高谷由紀子師 ルカによる福音書8:40-48   賛美 聖歌617

 イエスが会堂長ヤイロの求めに応じてその家に向かわれる途上においての出来事が記されている。12年間にわたって病んでいた一人の婦人がいた。多くの医者にかかり、全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえず、失意の中にあった。その頃多くの人を癒されたイエスの噂を聞き、イエスに最後の望みをかけていた。そこにイエスが通りかかられたので、彼女は恐る恐るイエスの衣に触れた。すると直ちに癒された。主は恐れおののく彼女に向かって「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われた。神の恵みは信じる者の上に豊かに現わされる。今日も信仰によって歩もう。



 


 


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