2020/7/13-18

投稿日時 2020-07-12 23:08:28 | カテゴリ: デボーションの友

 2020/7/13(月) 担当 高谷清師 ヨハ 18:37-38  賛美 新聖歌 2

 イエスが「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」と語られるのを聞いたピラトは「真理とは何か。」と言った後、もう一度、ユダヤ人たちの前に出て来た。ピラトはこの言葉をどのようなニュアンスで語ったのであろうか。「真理とは何か。」これは人類が、その歴史の始めから追い求めてきた課題であり、今日もそれを求めて論争し、堂々巡りを繰り返しているのである。パウロは「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。」(汽灰1:21)と述べている。またイエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハ 14:6)と語っておられる。さらにパウロは「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」(汽灰1:20-25)と述べている。真理は命への道であり、人間の自己努力や探求によって得られるものではなく、信仰により、恵みによって与えられるのである。

 

2020/7/14(火) 担当 ラウジー満世師 ヨナ書2:8  賛美 新聖歌196

 神の召しに背いて神から逃亡したヨナは今や魚の腹の中まで下ってきた。それは陰府の底で上への扉も閉ざされた場所であった。それでもヨナは神の救いを求めて祈った。全力で神から逃れようとするヨナに対する神の扱いは非常に厳しかった。この祈りの中で、ヨナは「息絶えようとするとき」と述べている。まさに神の厳しい取り扱いの中でヨナは死と隣り合わせの状況であった。簡単には救いは与えられなかった。そのような状況においてもヨナは主の御名を呼び、救いを求め続けた。あきらめず、求め続けた。神から完全に切り離された状況でなおも彼は求め続け、その結果ようやく救いを得た。

 このヨナの祈りから決してあきらめない祈りと、自分の頭の中で「ここには神もおられない」という限界を作ることなく望みをもって祈り続けることの大切さを教えられる。すぐに聞かれない祈りであっても神の憐みと力を信じて祈り続けよう。御心にかなう祈りを神は聞いてくださる。そして神の目に最善の方法で祈りに応えてくださる。

 

2020/7/15(水) 担当 高谷清師 ヨハ 18:38-40 賛美 新聖歌 372

 ピラトは、ユダヤ人たちの前に出て来て「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」と言った。ローマ総督として、イエスに何の罪も見いだせない以上、毅然としてイエスを釈放すべきであった。しかし、彼はそうはしなかった。自らの保身のためにユダヤ人たちを恐れたためである。その結果、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバが釈放され、罪の無いお方が罪とされた、正しい者が罪とされ、罪ある者が無罪とされたのである。私たちは聖なるみ言葉に立って正を正とし、不正を不正とする歩みをするべきである。

 

2020/7/16(木) 担当 ラウジー満世師 ヨナ書2:9-11  賛美 新聖歌200

 神について熟知していたヨナは、追い詰められた時に決してあきらめることなく祈り求めた。それとは対照的に、偽りの神々に従う者たちは簡単に自分が信じている神々へ忠節を捨て去り、離れ去る。偶像に祈りをささげる者の心は移ろいやすい。心のどこかで偽りの神々には自分を救う力がないことを自覚しているかのようである。偶像礼拝者たちに言及しながら浮かび上がるヨナの姿は救いの確信をもって最悪の状況でも祈り続ける姿であり、救いを得た後も感謝と神への忠実を貫く姿勢であった。なぜなら「救いは主にある」(2:10)からである。

 「海と陸とを創造された天の神、主」(1:9)を信じる人は自分の目に最悪の状況においても自分を救う力のある真の神に祈り続ける。この神が自分を救う方であるという確信を手放さない。私たちもこの神を信じているのだから、ゆるぎない確信をもって祈り続けよう。

 

2020/7/17(金) 担当 高谷清師 詩 54:8-9  賛美 新聖歌 391

サウルの執拗な追跡から逃れたダビデは、その逃避行の上に常に神の守りの御手があったことを思い、「主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ/恵み深いあなたの御名に感謝します。主は苦難から常に救い出してくださいます。わたしの目が敵を支配しますように。」と詠う。

出エジプト記には「その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである。」(出 12: 42)と記されている。出エジプトに際して主は寝ずの番をしてイスラエルを守られたのである。詩編は「見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。」(121: 4)と詠う。また、ぺトロは「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(汽撻 5: 8)と述べている。

 サタンは神の民を誘惑し、滅びに至らせようと虎視眈々と狙っており、神の

民は神の守りが無ければその信仰を保つことはできない。私たちは常に神への感謝と自発の献げ物をもって礼拝しょう。

 

2020/7/18(土) 担当 高谷由紀子師 競灰5:16-21  賛美 新聖歌 264

 キリストの死と復活がキリスト者の土台です。キリストにあって罪に死に、キリストにあって義と認められて生きることは、神からもたらされた、キリストにある新しい創造です。私たちはキリストの御業の故に罪から解放されて神と和解させていただきました。それのみならず、和解のために奉仕する任務をお授けいただきました。パウロはこの恵みを深く自覚し、生涯を通して、すべての人に「神と和解させていただきなさい。」と語り、勧め続けました。パウロと同様に、神との和解の恵みに与っている私たちは日々、この恵みを証しし続けましょう。






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