2013/9/16-21

投稿日時 2013-09-15 22:50:08 | カテゴリ: デボーションの友

 

2013/9/16(月) 担当高谷清師 汽灰1:18-25 賛美 新聖歌196・聖歌256
 パウロが「すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」と述べていることについて考えたみたい。先ず、ユダヤ人について「しるしを求め」と言った。彼らは十字架上のイエスに向かって「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう(マタ 27:42)」と言って「しるし」を求めた。ギリシア人については「ギリシア人は知恵を探しますが」と言っている。彼らは思弁的哲学に沈溺し、人間の思考の範疇を越えた神の知恵は彼らには愚かなものであった。
 かつて、日本の知識人による鼎談の記事を目にしたが、ある人は「キリストは十字架に架けられたが、その十字架から降りて来たのなら信じるが、死んでしまったのだから神と信じるのは馬鹿馬鹿しい限り」といった趣旨の発言をしておられるのを見て、ユダヤ人の発言を想起させられた。また、「科学的に立証されなければ信じることはできない」との発言をしばしば耳にする。これも人間の範疇を越えることはできない。しかし私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのである。それは私たちにとって神の力、神の知恵であり、信じることは恵みにより、聖霊の助けによってのみ、可能である。ここに祈りの必要がある。

 
2013/9/17(火)担当 ラウジー満世師 列王記下3:21-27 賛美480 新聖歌21 聖歌
 イスラエルとユダの連合軍は戦いへの途上で主の御旨を訪ね求め、預言者エリシャを通して答えを得た。彼らが神の指示通りに造った堀の水によって動物は水を得、モアブの民は朝日に輝く水を見て血と誤解して戦いに打って出たが、イスラエルが優勢であった。このことを見たとき、イスラエルとユダの兵たち、王たちは神の御心を知り、勝利を確信しただろう。しかしこの優勢な状況は一時的なものであり、結局モアブを完全に制圧することはかなわず、イスラエルは自分の国へと引き上げていった(27節)。
 この結果はヨラムとヨシャファトにとって期待を裏切るものであり、神に対して「なぜですか?」と問いたくなっただろう。神の御心を知ることはたやすくはない。私たちも実生活において体験する。祈ったはずなのに答えられない、あるいは答えを聞いたと思ったのに実際にはそのとおりには起こらなかったと戸惑い、信仰が揺るがされるときが誰にでも起こるだろう。それでもその状況において神を信じることを選び、問い続けるだろうか。今日も信仰の決断をしながら歩もう。

 
2013/9/18 (水) 担当 高谷清師 汽灰1:26-28 賛美 新聖歌341・聖歌591
 パウロは「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい」と語りかける。さらにエフェソ書においては「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です(エフェ2:8)」と述べている。主イエスも「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである(ヨハ15:16)」と語っておられる。わたしたちが今、信仰を与えられ、救いの恵みに与かっているのは唯神の恩寵によることをしっかりと自覚し、感謝と謙遜をもって歩もう。

 
2013/9/19(木)担当 ラウジー満世師 列王記下4:1-7 賛美 新聖歌427 聖歌520
 エリシャが行った奇跡が記されている。預言者仲間の一人が死に、妻が生活の困窮をエリシャに訴えた。彼女は具体的な生活における救済を求めた。当時のイスラエルでは負債のために一定期間奴隷とされることがあった。困窮により命の危機、生活の危機に直面していたこの預言者の妻はどうしようもない状況でエリシャに訴えた。まさに「夫は生前神に仕えてきたのに、どうしてこのような目にあうのか」という、現代にも通じる疑問と困惑と不満に襲われる状況である。これはこの婦人一人の問題ではなかった。ほかの預言者仲間とその家族にとっても重大な課題であった。このような状況において、エリシャは淡々と女性のなすべきことを語った。御言葉にはこれを聞いた女性の気持ちはまったく記されていない。彼女はとにかく言われたとおりに行った。そして奇跡を体験し、救いを経験した。
 常識では考えられない方法で神が問題を解決されようとするとき、良識ある私たちはなぜそんな方法で?と問い、信仰が揺らぐ。このようなときこそ、神に望みをおき、信仰をもって従うこと、これが今日求められている。

 
2013/9/20(金) 担当高谷清師 汽灰1:26-28  賛美 新聖歌249・聖歌473
 召された者についてパウロは「人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」と語る。コリントの教会には「わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオ」とか「市の経理係エラスト」とか「会堂長のクリスポ」と言った著名人もいたが、そのほかの大多数の人々は奴隷か、自由の身になった奴隷であったと言われている。主イエスが選ばれたのも漁師や収税人と言った無学な普通の人であった。さらに、全世界の救い主を世に送るために神が選ばれたのも僻地ナザレの乙女マリアであった。彼女は「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう(ルカ 1:47-48)」と歌っている。神の価値観はこの世のそれとは異なる。わたしたちは神がお選びになった兄弟姉妹を尊ぶべきであって、決して軽んじてはならない。

 
2013/9/14(土)担当 高谷由紀子師 マルコ 16:9-11 賛美 新聖歌127・聖歌172
 復活の主はまずマグダラのマリアにご自身を顕されました。このマリアは以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人です。悪霊から解放されたマリアは、その後に復活された主に最初に出会ったのです。イエスを拝したマリアはすぐに、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所へ行ってこのことを知らせました。マリアは復活の主を拝した時にそのことを自分の心の中だけにとどめず、他の弟子たちに復活の証人となりました。弟子たちはこれを聞いても最初はこのことを信じませんでしたが、それでもマリアはとにかく人々に主が復活されたことを伝えたのです。わたしたちもすべての人に復活の主を証しする者となりましょう。





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