デボーションの友
デボーションの友 : 2021/6/21-26
投稿者 : TAKATANIG 投稿日時: 2021-06-20 22:21:01 (31 ヒット)
デボーションの友

202165/21(月) 担当 高谷清師 コロ2:16-23 賛美 新聖歌 399

 コロサイの聖徒たちは伝えられた福音を聞き、信じ、救われ、愛と希望と喜びに満ちた歩みをしていた。しかし、コロサイには彼らを餌食にしょうと虎視眈々と狙うサタンの目が注がれていた。彼らの信仰は純粋で麗しくはあるが、無防備であった。コロサイの聖徒たちがそうしたサタンの餌食にならないようにパウロは警告を発している。キリスト者がサタンの餌食にならないために、まず知るべきことは自分が何者であるかを知ることである。パウロは「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラ2:19-20)と述べている。更に本書2:12では「洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。」と述べている。キリスト者とは、罪ある存在であった肉なる者がキリストと共に十字架につけられ、死に、キリストの復活にあやかり、キリストと共に甦らされた者である。罪に死んで罪無きキリストの命に生かされている者である。
 

2021/6/22(火) 担当 ラウジー満世師 ゼファニヤ書2:8-11 賛美 新聖歌345

 モアブとアンモンへの言葉の中で、彼らが神の民を嘲り、彼ら自身がおごり高ぶったために裁きが明言されている。モアブとアンモンの地を受け継ぐのはイスラエルの残りの者とまで語られている。神を恐れない異邦人も終わりの時に神によって裁かれる。この箇所の最後の部分には異邦の民に対する裁きだけではなく、地上のすべての神々までが滅ぼされると言われている。人間はあらゆる時代に、あらゆる国々で自分の手で造った像や、頭で考えた偶像の神々を拝み、本来むなしい者に多大な権威と力を与えてきた。しかし唯一真の神はこれらを滅ぼすと宣言されて、人間の偶像礼拝という罪を裁かれる。
 歴史を通じて、日本に限らず世界のあらゆるところで人間は真の神ではないものを神として作り出し、礼拝してきた。しかし終わりの時に神は偶像礼拝から離れず傲慢にふるまう人々と、また偶像の神々をも滅ぼされる。真の神から離れないよう、しっかりと聖霊の導きに従おう。
 

2021/6/23(水) 担当 高谷清師 コロ2:16-23 賛美 新聖歌 275

 パウロは「だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。」と述べている。コロサイの聖徒たちを餌食にしょうと虎視眈々と狙うサタンたくらみの一つはユダヤ主義であった。エルサレム教会に属していたユダヤ主義のある者たちはユダヤ教会の承認を得ずして「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。(使15:1)そこでエルサレム会議が招集され、「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」(使15:28-29)とのメッセージが発せられた。しかしあるユダヤ主義者はコロサイにおいて食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことなぞを語っていたのである。ユダヤ主義についてパウロは「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」(ガラ5:1-6)と述べている。日本においては、宗教は「戒律と戒め」と誤解されやすい。「信仰のみ」と言われると頼りなく思われる風潮がある。しかし「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」(ロマ1:16)である。
 

2021/6/24(木)担当 ラウジー満世師 ゼファニヤ書2:12-15 賛美 新聖歌438

 イスラエルの東のモアブとアンモンへの言葉に続いて南に位置するクシュ人と、北に位置するアッシリアへの言葉が続く。アッシリアのように北王国を滅ぼすほどに栄えた国に対しても神の裁きの言葉は揺るがない。人間の力で太刀打ちできない強国であっても、主が手を伸ばされると滅ぼされる。アッシリアもまたかつては自国に並び立つ国はないと自負し、強大な力を誇っていた。しかし最終的には真の神の裁きの言葉の通り、その都は荒廃し、人々の驚きと嘲りを受けることになる。
 真の神はイスラエルを選び、ご自分の民として導かれた。しかし、真の神は世界の国々の創造者である。今の時代にもこの神を認めず、自分の力と繁栄を誇り続ける罪深い人間の姿はあらゆるところに見られる。世界中のすべての造られた人々が真の神を認め、礼拝することができるように祈り、真の神を伝えよう。
 
2021/6/25(金) 担当 高谷清師 詩 62:10  賛美 新聖歌 268
 私たちの生の確固たる土台、岩なるお方、神に導かれた詩人は「人の子らは空しいもの。/人の子らは欺くもの。/共に秤にかけても、息よりも軽い。」と詠う。パウロは「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」(フィリ3:7-9)と述べている。またイエスはゲッセマネにおいて「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ  22:42)と祈られた。
 私たちはイエスの尊い贖いの恵みにより、御国の民とされた。世の者ではないのである。世と御国とはその価値観が異なる。御国の民として、御国の価値観に生きよう。
 

2021/6/26(土) 担当 高谷清師 コロ2:16-23 賛美 新聖歌 428

 コロサイの聖徒たちを餌食にしょうと虎視眈々と狙うサタンたくらみの第二は偽りの謙遜と天使礼拝にふける者たちである。彼らは幻で見たことを頼りとし、肉の思いによって根拠もなく思い上がっているだけで、頭であるキリストにしっかりと付いていないのである。この箇所について村上伸師は「この危機の危機たるゆえんは、この霊力が一見したところはなはだ魅力的で、「知恵のあることのように見える」(2:23)というところにある。独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行・飲食の節度。こういったことは、ふつう世の人々が宗教というものを評価する際の普遍的な目安になっているものである。しかも、年ごと・月ごと・週ごとの宗教行事もきちんと守られていて(2:16)、幻を見た(2:18)というような常人とは一風変わった「宗教的」体験も豊かである。これらすべては、その宗教を説得力あるものにしている。(中略)人は、こういった条件をそなえた宗教に出会うと、容易に魅かれてしまう。コロサイの人々を取りまいていたのは、そのような危険であった。」(説教者のための聖書講解No43P44日本基督教団出版局1983)と述べておられる。聖書は「人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となることがある。」(箴 14:12)と述べている。また、ヨハネは「イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。」(汽茱 4:3)と述べている。どんなに魅力的であっても、どんなに世の称賛を受ける教えであっても、イエス以外に救いに至るものは無い。 


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