デボーションの友
デボーションの友 : 2021/6/14-19
投稿者 : TAKATANIG 投稿日時: 2021-06-13 22:32:36 (34 ヒット)
デボーションの友

 2021/6/14(月) 担当 高谷清師 コロ 2:15 賛美 聖歌 168

 パウロは「そして、もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました。」と語る。ここでも大宮溥師の言葉に耳を傾けたい。師は「ここにコロサイ人への手紙の特徴である「宇宙的キリスト」がえがき出されている。「支配」や「権威」が天使的な霊力であることはすでに説明されたはずである。これらは異教や異端の哲学では宇宙と人間の運命を支配する「霊力」(ストイケイア〉として恐れられているが、それらは独立した絶対者ではなく「みな御子によって造られ、御子のために造られたのである」(1:16)。したがって「彼〈キリスト〉はすべての支配と権威とのかしらである」(2:10)。しかるに、これらの力がキリストに従うのでなく、キリストに反抗して働くとき、宇宙は混乱し、人間はこれに誘惑され、とりことなって、罪の道に迷い出、神にさからい霊力に憑かれ、迷信のとりことなる。キリストの十字架は、キリストをも屈服させて、自己の支配のもとに置こうとする霊力の総攻撃であった。しかしキリストは、罪と死と悪魔の攻撃を撃退し、神の力によって勝利して、復活された。これによって十字架は神の恵みと真実.が勝利したことのしるしとなった。」(説教者のための聖書講解No4340日本基督教団出版局1983)と述べておられる。キリストは復活においてもろもろの支配と権威に勝利された。われらの勝利はキリストの復活の内にある。

 

2021/6/15(火) 担当 ラウジー満世師 ゼファニヤ書2:1-3 賛美 新聖歌437

 所詮神は何もなさらないと神を見くびっている民を見るとき、もはやこの民には救いを受け取る機会が残されていないと感じる。しかしそんなときにも預言者の口からは最後の最後まで彼らを見捨てずに、「主を求めよ」と鼓舞して立ち上がらせる言葉が聞かれる。これほど傲慢になり、神への畏れを忘れ去った人々にも繰り返して神のさばきが臨むという現実を語るにもかかわらず、今なお民が悔い改めるならばこのような強情な民であっても守られるであろうという憐れみ深い言葉が語られている。

 語っても語っても福音が届かないとき、また、とりなしの祈りを積んで心から悔い改めと救いを願って涙をもって伝えても一向に心に真理を受け止められないとき、私たちは悲しみ、落胆する。そして語ることをあきらめてしまうことも起こりうるかもしれない。しかし神のさばきが明確に下る瞬間まで、神の警告に応答する者には守りが与えられる望みがある。語る私たちも神の力をいただき、忍耐と愛をもって福音を伝え続けよう。

 

2021/6/16(水) 担当 高谷清師 コロ 2:15 賛美 新聖歌 222

 大宮溥師は更に言葉をつないで「霊力に関する新約聖書の叙述は、古代的神話的な思弁であるように感じられるかも知れない。しかし、この世界の力が創造者なる神の支配をはなれて、自己を絶対化する時、その力は必ず悪魔的な力として破壊的に働くことを、われわれは戦争や自然破壊の悲劇の中から学んできたのではないであろうか。人間はあらゆる力を自分のものにしようと願い、またあらゆる力を備えたものを神としてあがめてきた。ヒットラーは神を「全能者」と呼んで、これに近づこうとしたし、今日の軍拡競争の中にも力への誤った信仰が働いている。神の力は愛の力であり、愛に動かされた力である。十字架によって愛の力がニヒルな力に勝利したのである。十字架に示された神の愛の力が世界を支配する時にのみ、世界は救われる。」(説教者のための聖書講解No4340日本基督教団出版局1983)と述べておられる。

 パウロは「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」(一コリ13:1-3)と述べている。愛無き力、神無き力は悪魔的であり、破壊をもたらす。われらが求むべきは神であり、愛である。

 

2021/6/17(木)担当 ラウジー満世師 ゼファニヤ書2:4-7 賛美 新聖歌19

 民に対する、もしかしたら神の憐れみによって守られるかもしれないという驚くべき言葉に続くのは諸外国に対する裁きの言葉である。最初に取り上げられるのはペリシテ人である。イスラエルと隣接した海沿いの地域にあるペリシテの町々は古くからイスラエルと戦いを繰り返してきた。神はこのペリシテ人の地に対して災いだと語られる。ペリシテに対する裁きの預言ではその理由が語られていない。ただ神がこれから裁きを行われてその結果起こることが描写されるだけである。一方では「ユダの家の残りの者」、つまり神の裁きを経て生かされた民に繁栄が回復されることが約束されている。

 聖書の神はイスラエルだけの神ではない。聖書に掲示された神は全世界の創造者であり、あらゆる民をすべ治めるお方である。私たちもまた神の統治のもとにあって生かされている。神に感謝し、神の言葉を聞き、行動をもって神に従い応答しよう。

 

2021/6/18(金) 担当 高谷清師 詩 62:9  賛美 新聖歌 434

 かつて、信仰を共にし、神を礼拝しながら、今や、自分を棄て、迫害する者となり、口先で祝福し、腹の底で呪い、命さえも狙う昔の友人たちの中に在って、苦悩し、心を注いで祈り、神の光の中で確固とした岩なる神に導かれた詩人は「わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。」と詠った。今や、如何なる嵐の中に在っても不動の平安を得た詩人は「民よ、どのような時にも神に信頼し/御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。」と述べる。

 地上を歩まれた神の御子イエスと寝食を共にし、親しく教えと薫陶を受け、ペンテコステにおいて聖霊に満たされ、真理に導かれた使徒たちは「決してイエスの名によって話したり、教えたりしないように」と命令する権力者に対して「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使4:19-20)と答え、神の恵みを証しし続けた。真理の言葉を与えられた私たちはどんな時にも主イエスを証しし続けよう。

 

2021/6/19(土) 担当 高谷清師 コロ2:16-23 賛美 新聖歌 399

 NHKに「ダーウィンが来た」と言う番組がある。私の知らないいろいろな動物の生態を伝えてくれる興味深い番組である。この中で紹介される動物の赤ちゃんはとりわけ愛らしく心を和ませる。しかし、その親たちは一時も警戒を怠らない。弱肉強食の中に在って常に餌食として狙われているからである。コロサイの聖徒たちも伝えられた福音を素直に受け入れ、素晴らしい信仰に預かっていた。しかし、霊の世界においても、ぺトロが「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(汽撻 5:8)と述べているように、多くの敵が聖徒たちをキリストから奪い取ろうと狙っていた。パウロはこのような環境下にある聖徒たちに警告を与えている。ある哲学者が「汝自身を知れ」と言ったように、敵に対抗するためには自分を知ることが必要である。パウロはキリスト者が何者であるかを語っている。その第一は「キリストと共に死んだ者」である。他の箇所でもパウロは「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラ2:19-20)と述べている。キリストが自らの内に生きておられることを自覚しょう。


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