デボーションの友
デボーションの友 : 2021/5/10-15
投稿者 : TAKATANIG 投稿日時: 2021-05-09 22:25:12 (37 ヒット)
デボーションの友

 2021/5/10(月) 担当 高谷清師 コロ 1:21-23 賛美 新聖歌 373

 パウロは「この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。」と語る。私たちの罪を負い、十字架に架かり、血を流し、世の罪の贖いを成し遂げ、死んで葬られ、死に勝利して甦られたイエスは、弟子たちに「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と命じ、天に上げられた。そして約束された聖霊を送り、弟子たちは聖霊に満たされ、教えられ、導かれ、力を受けて全世界に向けて福音を宣べ伝えた。イエスは迫害の急先鋒であったパウロをとらえ、福音の宣教者としてお立てになった。それを受けてパウロは一切を捨て、福音に仕える者となったのである。そこには一切の私心がない。神の召しに応答し、仕える者は全てそうでありたい。

 

2021/5/11(火) 担当 ラウジー満世師 ハバクク書3:12-15 賛美 新聖歌339

 神の力強い顕現について描写されてきた。神が来られた目的がここで明らかになる。怒りをもって国々を踏みつけられる。しかし神は何の区別もなく全世界をご自分の気分によって滅ぼそうとされるのではない。神はご自分の民を苦しめ、敵対するたちを裁くために来られる。ご自分の民の苦しみをご覧になり、彼らを敵の手から救い出し、神の正義を示すために来られる。神が悪を行う者たちをもはや見過ごされることはない。神が御力を示される時、かつてエジプトが海に飲み込まれたように、地上でどれほどの力を誇っている強大な敵も神のさばきに服する。

 敵の手に堕ちて苦しむイスラエルの民の中でハバククはこの幻を示された。現実には力のない弱い者にその苦しみからの解放を約束し、時が来れば実現してくださる神がおられる。そうして苦しみの最中にあって神の約束を与えて下さる。現実の苦しみの中にあるとき、私たちは目を上げて神の御業を仰ぎ見よう。

 

2021/5/12(水) 担当 高谷清師 コロ 1:24-29 賛美 新聖歌 445

 パウロは「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。」と語る。この箇所について楠原博行師は「川村輝典は、キリストの徹底的な苦しみにいかなる不完全さも認められず、われわれ人間の罪のゆえの苦しみ、戦いはすでに解決されている。だから、この部分は、「すでに・・・・・すべてのキリスト者のために苦しみ、死んでくださったキリストにひたすら服従する姿勢をもって、教会の戦いを自らの戦いとして経験し、そのことによってキリストの苦しみを後から追体験させていただくことである」(川村、序論)と理解する。われわれはこの理解に立つ。」(説教黙想アレテイア エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙P235日本基督教団出版局2012))と述べておられる。キリストの受けられた苦難は我々の贖いのためには十分であって、私たちは自らの救いのために信仰以外になにものも必要としない。「キリストの苦しみの欠けたところ」とは宣教の戦い、教会の戦いである。その重荷を共に担って行こう。

 

2021/5/13(木)担当 ラウジー満世師 ハバクク書3:16 賛美 新聖歌19

 神の裁きの預言を知らされたハバククはその裁きのすさまじさに恐怖で満たされる。あまりの恐ろしさの故に震えを止められないほどの衝撃であった。神の圧倒的な力に太刀打ちできる人は一人もいない。ハバククにとってはこの神の裁きが自分とイスラエルの民に臨むものではなく、神が彼らのために敵に対して立ち上がってくださるというメッセージであった。この期に及んでハバククはイスラエルに敵対する諸国のさばきと、イスラエルの救いを宣言してくださる神の言葉を信じて「静かに待つ」と決心する。そうしてこの確信に立って神がことをなしてくださる時を待ち望むのである。

 信仰生活において大きなチャレンジは「待つ」ということである。私たちは将来の終わりの日の救いの約束を待ち望んでいる。また個人の歩みにおいても実生活の中で献げる祈りと願いを神が聞いてくださると信じて神の御業を待ち望む。み言葉を土台として、聖霊に導かれて神を待ち望むことができるよう、主の助けをいただこう。

 

2021/5/14(金) 担当 高谷清師 詩  62:2-3  賛美 新聖歌 427

 詩人は「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。/神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。」と詠う。この箇所についてA. ヴァイザーは「詩人は心のすべてを緊張させ、自分の思いを神に集中し、包まず祈って心を全面的に神に向けたのである。彼は人の助けを求めることをやめて、もつばら神を信頼した。まえには落ち着きのない考えや疑いが彼をさいなんでいたが、今は平静になった。今や彼は、救いをもたらす唯一の方をはっきり見る。しかも不安げに探し求めることがやんだばかりでなく、彼は再びゆるがぬ大地に立っている。すなわち、神が不動の岩、城である。不安によろめく心は、平静な確信と信仰の毅然たる態度に座をゆずった。それは彼の見方や考え方が、いな全生命が、別の方向と次元に置かれたことを知っているからである。それらはもっぱら神の方から自分の存在を定め、違った視野をもつ新しい中心を与えるのである。」『ATD旧約聖書註解詩篇中P136ATDNTD聖書註解刊行会1985)と述べている。

 子供のころ、近くの川には幅の狭い板橋しか架かっていなかった。川が増水すると急流となり大きな音を立てて流れる。流れに目を奪われると橋がどんどん上流に移動しているような錯覚にとらわれ、それに合わせて足を出すと転落し、死を招く。しっかりと橋板を見つめて歩かなければならない。信仰もまた同じである。しっかりとイエス様を見つめつつ歩もう。

 

2021/5/15(土) 担当 高谷清師 コロ 1:25-27 賛美 聖歌 236

 パウロが神から受けた務めは、御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めであり、この務めのためにパウロは教会に仕える者となった。その御言葉とは、世の初めから代々にわたって隠されていた、秘められた計画であり、今や、神の聖なる者たちに明らかにされもの―あなたがたの内におられるキリストである。神は、神によって創造されながら、神に背いて罪を犯し、死に服した人間を愛し、救いの計画を持っておられた。時が満ち、神は御子を世に遣わすことによって、このご計画を明らかにしてくださったのである。肉によれば異邦人であり、キリストとかかわりなく、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに虚しく生きていた者にとってそれは限りない栄光の希望である。世においては「希望に満ちた青春」とか「希望溢れる未来」と言った表現が用いられる。しかしそれらは例外なく死に飲み込まれるものであり、絶望に終わる。キリストだけが唯一の希望である。


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