デボーションの友
デボーションの友 : 2019/11/18-23
投稿者 : takatani 投稿日時: 2019-11-18 00:00:08 (45 ヒット)
デボーションの友

2019/11/18(月) 担当 高谷清師 ヨハ 15:16 賛美 新聖歌 394

イエスは「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」と語られる。「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるように」という言葉を取り上げてあたかも、「イエスを信じるなら打出の小槌を手に入れることが出来る」ように喧伝する者がある。しかし、この御言葉はそのように言っているのではない。イエスが弟子たちを任命されたのは「あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るように」、即ち、イエスは弟子たちを宣教の職務のために任命されたのである。

宣教の職務遂行のための必要をイエスの御名によって父に求める時父はお与えくださるという約束であって、肉の欲望充足のための願いを何でも父が与えてくださるという約束ではない。「ご利益宗教」とは自分の欲望充足のために神を用いる宗教であり、真の宗教は神の聖旨実現のために自分を献げるものである。私たちは神の聖旨実現のために自分を献げる真の信仰に歩もう。

 

 

2019/11/19(火) 担当 ラウジー満世師 ヨエル書3:1-2 賛美 新聖歌416

ヨエル書3:1-2は使徒の働き2:17-18においてペトロの説教の中で引用されている。これは教会の歴史の初めに約束されていた聖霊が下り、力を受けたときの説教であった。この場にいた人々は聴衆の故郷の言葉で福音を語った。その後も使徒たちは力によって主イエスの復活を証し続けた(使徒4:33)。癒しもまた神の力によってなされた(使徒3:12)。ステファノもまた神からの恵みと力に満たされて福音を宣べ伝えた。ヨエルの預言が成就した時、人々は上よりの力に満たされて伝えた。そしてそこには説教を語る人の知性も用いられ、言葉だけではなく癒しの業をも伴う宣教が展開された。それは一回的な熱狂によるものではなく、様々な信仰者を通して、初代教会の時代に起こった。神の霊に満たされて力を得、福音宣教が行われるときに、人それぞれの個性や知性を通して聖霊の表れとしての業と言葉の宣言がなされた。神の霊に満たされ、力に満たされている今日の教会に属する私たちも、私たちを通して聖霊の力が表されることを感謝し、ともに福音宣教を進めていこう。

 

 

2019/11/20(水) 担当 高谷清師 ヨハ 15:17 賛美 新聖歌 414

ヨハネはイエスの「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」という言葉をもってこの段落を閉じる。この言葉は13章34節において「新しい掟」として弟子たちに与えられたものである。パウロもまた「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(汽灰13:13)と述べている。このようにイエスが繰り返し語られ、パウロがいつまでも残るものの中でもでも「最も大いなるもの」と語るのを見る時、キリスト教信仰において「愛」が如何に主要なものであるかが分かる。しかし愛はたえず固定化し、抽象化し、観念的になりやすい。また、イエスは終末の徴について語られた中で「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」(マタ 24: 12)と語っておられる。パウロは「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ロマ 5: 5)と述べている。常に生きて働く愛を私たちの心に注いでくださるお方は聖霊である。それ故、常に聖霊に対して心開き、祈り、満たされて歩もう。

 

 

2019/11/21(木) 担当 ラウジー満世師 ヨエル書3:3-5 賛美 新聖歌253

ここでは主の日が来る前に起こる様々な現象について語っている。出エジプトの時代、シナイ山で神の臨在が示されたときにも雷鳴がとどろき、山は厚い雲に覆われた。神がご自身を現されるときには様々な現象が起こる。ヨエル書でも裁き主である神が来られる主の日に起こる様々な現象が記されている。まさに恐るべき日の到来である。しかし、神を信じる者には希望の約束が与えられる。神は彼らを苦難の中から呼び集め、逃れ場を与え、主の御名を呼ぶすべての人を救ってくださるのである。主の名を呼ぶことによって救われる。苦難の中でも神の御名を呼び、ここに救いを求めることが救いへの道である。私たちを救うことのできる神の名を、信仰を持って呼び続けていこう。そこにこそ希望と救いがあるのだから。

 

 

2019/11/22(金) 担当 高谷清師 詩 49:21 賛美 新聖歌 341

詩人は「人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい。」と詠って本篇を閉じる。本節を岩波訳は「ひとは栄華の中に悟らない、屠られるけものと同じだ。」と訳し、フランシスコ会訳は「栄えに酔う人は悟らず、滅びうせる獣にひとしい。」と訳している。この世の繁栄は人に自信を与え、人を傲慢にし、霊的に盲目にし、心に神の言葉を受け入れる余地を無くする。世の栄華は人に悟りを得させない。彼らは屠られる日のために栄養価に富みと栄養バランスの取れた濃厚飼料を与えられ、気温、湿度など、快適に管理され丸々と太った獣に等しいのである。ヤコブはこのような人々に「富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。(ヤコ 5:1-6)」と警告している.

 

 

2019/11/23(土) 担当 高谷由紀子師 ルカ 10:17-20 賛美 新聖歌 346

  イエスは七十二人を任命し、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授け、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされました。彼らは喜んで帰って来て、こう言いました。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」と。これに対してイエスは「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言って、真に喜ぶべきものが何であるかを教えられました。イエス様の血潮によるあがないの恵みに与り、罪赦され、御国の民とされていることこそ、様々な賜物を与えられて、奇跡の業を行うことに勝って喜ぶべきことなのです。 

 


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