デボーションの友
デボーションの友 : 2018/12/10-15
投稿者 : takatani 投稿日時: 2018-12-10 04:30:43 (206 ヒット)
デボーションの友

2018/12/10 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 11:1-16 賛美 主をほめよP7待ち望め主を
 「ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。」と記されている。この箇所についてカルヴァンは「わたしたちは、このかれの遅滞から次のことを教えられるのである。神の愛は,わたしたちが目先で見ることから評価されてはならない、と。キリストは,懇望されながら、しばしばその援助をおくらせている。それは、わたしたちのうちに祈る思いと熱意とをさらにかき立てるためである。あるいは、わたしたちの忍酎を試み、同時に、わたしたちを服従に慣れさせるためである。だから、信者たちは、神の助けを願う時、時としてその必要に迫られていると思われるだけ、十分すみやかに神の手がさしのべられないことがあるとしても、同時にそののぞみを持続させることを学び知らなければならない。それというのも、神はたとえおくれるとしても、決して眠ってはいず、自分に属しているひとたちを忘れてはいないからである。かれは、むしろ、愛するひとたちすべてが救われることをのぞんでいる、と確信しよう.」(カルヴァン新約聖書注解献茱魯擁_蚕餡漆袈欺佝納1965P370)と記している。コヘレトの言葉は「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレトの言葉3:1)と述べている。確固たる信仰に立ち、忍耐をもって待ち望むことが求められる。

2018/12/11(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書47:1-7 賛美 新聖歌389
 46章の書き出しとは違って、冒頭にどの国に宛てた言葉であるのかは明言されていない。ただ、洪水のように水が押し寄せて地上のすべてを破壊してしまうという印象的な描写で始められている。人間では太刀打ちできない大きな破壊力に呑み込まれる印象を受けたところで、それがこの国を襲う異国の軍隊であると明かされる。最終的にその滅びを体験しているのがペリシテ人であると明かされる。歴史を知る私たちはこの北からの大水として語られた軍隊がどの国であるかと判別しようとする。しかしここで言われるのは主ご自身が剣を取られ、ペリシテ人を倒されるということである。
 私たちが関心を持つのは、実際にペリシテを滅ぼしたのは具体的にどの国かということである。しかし地上で起こることの背後にあってすべてを導いておられるのは神ご自身であるということをこの箇所を通してもう一度思わされる。すべてを治めておられる神の目に正しく歩もう。

2018/12/12(水) 担当 高谷清師 ヨハ 11:1-16 賛美 新聖歌 354
 二日後、イエスは弟子たちに「もう一度、ユダヤに行こう。」と言われた。弟子たちは驚いて「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか。」と言った。これに対してイエスは「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」と言われた。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。昼の間は太陽の光に照らされているのでつまずくこともなく、迷うこともない。しかし、夜になると光がないために、つまずき、道に迷い、多くの危険に遭遇する。
 イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハ 8: 12)と語られた。世は罪の支配する暗黒の世界であり、つまずきと迷いに満ちている。しかし、イエスを信じる信仰によって歩む時、光のなかを歩むことが出来る。それは迷うこともつまずくことも無く、あらゆる危険から守られる道である。

2018/12/13(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書48:1-10 賛美 新聖歌438
 48章全体においてユダの東に位置する旧来の敵であるモアブへの預言が述べられている。長年イスラエルを苦しめてきたこの敵に対して厳しい裁きが下されることは驚くに当たらない。モアブが占領されるとき、それは国の北に位置する町から始まる。エレミヤが何度も語っている北からの敵が神に用いられているのである。モアブはなぜ滅ぼされるのか。それは豊かな国土によって得られる富に頼ったからだと言われる(48:7)。さらに10節には主から課せられた務めをおろそかにする者へのさばきが語られている。モアブはイスラエルとは違い、神の契約の中に生きてはいなかったが、それでも主のさばきを逃れることはできないとエレミヤは語る。神がイスラエルの神であると同時に、すべての造られたものと全地を治める方であることがわかる。
 主なる神を信じていない人々、また主なる神との関係の中に生きていない人もまた主の主権のもとに生かされ、導かれている。ペリシテ同様、モアブもまた造り主である神のさばきから逃れることはなかった。今の時代の神を知らない人々も主の御手の中にあることを覚え、その救いのために祈り、伝えよう。

2018/12/14(金) 担当 高谷清師  詩 40:6 新聖歌 434
 詩人は「わたしの神、主よ/あなたは多くの不思議な業を成し遂げられます。あなたに並ぶものはありません。わたしたちに対する数知れない御計らいを/わたしは語り伝えて行きます。」と詠う。この箇所を口語訳は「わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても/多くて数えることはできない。」と訳し、岩波訳は「たくさん、あなたは行なった、わが神ヤハウェよ、あなたの不思議な業と/配慮とを、われらに。/あなたに並ぶものは無い。/私が告げ、また語ろう〔にも〕、/おびただしくて数えきれない。」と訳している。
 聖書は「初めに、神は天地を創造された。」(創 1:1)と述べている。そして「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創 1:31)と述べている。
 宇宙万物は、全知全能にして愛であられる神が創造されたのであって有限なる人間はこれを極めることはできない。しかし私たちは、神を、全身全霊をもって賛美し、自らの知り得た神の恵みのすべてを語り伝えて行こう。

2018/12/15(土)担当 高谷由紀子師 マタ 18:1-4 賛美 新聖歌 191
 弟子たちがイエスに「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と尋ねるとイエスは人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」と言われました。弟子たちは、自分が偉い人になりたい、人に認められたい、賞賛されて人よりも上になりたいと思っていました。しかし主が教えられたのは、頑張って功績をあげて認められなさいということではありませんでした。逆に、子供のようになり、自分を低くするということでした。ぺトロは「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。」(汽撻5:5)と述べています。日々、神の前にへりくだって歩みましょう。


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