デボーションの友
デボーションの友 : 2016/10/17-22
投稿者 : takatani 投稿日時: 2016-10-16 22:49:07 (745 ヒット)
デボーションの友

2016/10/17(月) 担当 高谷清師  汽撻5: 6-7  賛美 新聖歌315
 「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。」と語ったペトロは「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」と述べる。人生には思い煩いが満ちている。阪神淡路大震災、東日本大震災に端を発した○○○○地震、××地震の発生予告と度重なる被害想定の引き上げによる自然災害、家族の問題、社会の問題、経済問題、原発問題、国際問題、安全保障問題、・・・・・思い煩いはどんどん肥大化し、人々は不安のうちに右往左往する。このような状況に対し主は「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ 12:29-32)語っておられる。パウロも「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリ4:6-7)と述べている。一切を主に委ね、平安の内を歩もう。

2016/10/18(火) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書51:1-8 賛美 新聖歌209
 「聞け」「耳を傾けよ」という呼びかけから始まる三つの言葉がおさめられている。神に聞くべき人々はアブラハムとサラの子孫であり、祝福を受け継ぐ者として約束されている人々である。しかし神の救いと正義はアブラハムの子孫の枠を超えて諸国の民と島々にまで現される(51:5)。この様にして全世界に現される主の救いはとこしえに続く。うつろいやすい自然の世界とは対照的である。それでもなおその救いの恵みを受ける人々もまた人から嘲られ、ののしられるという苦難を受ける。しかし主を知る者、神の教えを心に留める者は、永遠の救いを知るがゆえに揺らぐことはない。
 神を求め、神の教えを求め、神に聞くことによってしっかりと永遠の救いの確信を握ろう。

2016/10/19 (水) 担当 高谷清師  汽撻5:8 賛美 聖歌 233
 続いてペトロは「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」と語る。パウロは「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。」(エフェ2:2)と述べ、この世が悪魔の支配下にあることを明らかにしている。主イエスは「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」(マタ10:16)と語っておられる。さらにパウロは「だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。」(競灰11:14)と語っている。キリストの尊い血によって贖われ、神の子とされた者も、サタンの支配下にある世に生かされているのである。従って、常に目を覚まし油断しないようにしなければならない。おりしも、ネットニュースは「飼育のクマに襲われ、56歳男性死亡」というニュースを伝えている。サタンの支配下にある世のものは、その装い、表情が如何にフレンドリーであっても、身を慎んで目を覚ましていなければならない。

2016/10/20(木) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書51: 9-16 賛美 新聖歌341
 「奮い立て、奮い立て」(51:9, 52:1)、「目覚めよ、目覚めよ」(51:17)から始まる言葉が三つ続く。それぞれの言葉は苦しみの中にある人々が神に訴えかける嘆きの歌である。この三つの最初の部分である51:9-16はまず創造の時にさかのぼる歴史において神がなしてくださった御業を語る。混沌から世界を創造された神は実態のつかめないラハブや竜などをも支配される。出エジプトの時に海を分けて人々を通らせ、死を覚悟した人々に賛美を与えられた。この方が今救いを求める人々と共におられる。そして苦しむ人々にこの神を思い起こせと語り掛け、救いを約束する。
 果てしない苦しみと恥の中を歩むことがあったとしても、強大な敵の前に打ちひしがれているような時でも、力強い神が共にいてくださる。安心して主と共に歩もう。

2016/10/21(金) 担当 高谷清師  詩編27:4−6  賛美 新聖歌214
 数々の試練を信仰によって乗り越えてきた歩みをふりかえり「主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう。」と詠った詩人は、その源泉が主との絶えざる、深い交わりであったことを思い「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り主を仰ぎ望んで喜びを得その宮で朝を迎えることを。」と語る。主は接待のために忙しく立ち働き、いらだつマルタに対し「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ 10:42)と教えられた。またパウロは「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。」(ロマ 8:31-33)と述べている。一難去ってまた一難と言われるように、人の歩みには絶えず試練が襲いかかる。信仰者とてその圏外にいるのではない。しかし主との絶えざる、深い交わりこそ平安と勝利の源泉である。

2016/10/22(土) 担当 高谷由紀子師 ルカ9:57-62  新聖歌404
 ここには主に従おうとした三人の人について記されています。最初の人は主と一緒にどこにでも従っていきますと言いましたが、この人に対して主イエスは「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」(9:58)と答えられました。第二の人はイエスの方から従うように声をかけられたにもかかわらず、まず父を葬らせてほしいと願いました。すると主は死者のことは死者に任せてこの人は神の国を言い広めることを優先しなければならないと答えられました(9:60)。第三の人は、主に従いはするが、まず家族に挨拶に行きたいと申し出ました。彼に対して主は「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」(9:62)と言われました。
 これらの厳しい主の言葉から、主に従おうとする人には尋常ではない苦難や困難に耐える覚悟が必要なことがあると分かります。世の義務に仕えることは確かに大切です。しかし、神の国を言い広めることは、世との関係を断ち切って神に仕える決断が迫られるほど厳しく、大切であることを教えられたのです。


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