2018/11/26-12/1

投稿日時 2018-11-26 08:22:28 | カテゴリ: デボーションの友

2018/11/26 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:31-39 賛美 新聖歌 165
 イエスが語られた「わたしと父とは一つである。」という言葉はユダヤ人たちには イエスは人間であるのに自分を神とした、神を冒涜する者として受け取られた。その為、ユダヤ人たちはイエスを石で打ち殺そうとして、また石を取り上げた。彼らに対しイエスは「わたしは、父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で打ち殺そうとするのか。」と問われた。そして「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。」と問われた。そして「もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」と語られる。他の箇所でイエスは「あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。」(マタ 7:16)と語っておられる。人にはイエスを知ることが困難な場合がある。しかしイエスの御業、働きの実によって見分けることが出来る。

2018/11/27(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書45:1-5 賛美 新聖歌396
 バルクはエレミヤが語った預言を書き記してきた。エレミヤが人々に対して災いの言葉を語る時も、彼はエレミヤの傍にいて主の言葉を書き記し続けてきた。これはエレミヤにとっても苦難の道のりであったが、バルクも例外ではなかった。改めて災いの言葉を思い、現実に起こっていることを見た時に、バルクの心は悲しみと恐れに満たされた。そのとき、同じ苦しみと嘆きを経験しながら主に従ってきたエレミヤの口を通して神はバルクに語られた。バルク自身の状況にのみ目を向ける狭い視野から解放されて、神のなさる業を見ることを求められた。神が民に対してなさる審きは変わらないけれども、その中でバルクの命を守るという神の約束が与えられる。
 苦難の中にあってなお神に信頼し、希望をもって歩み続けることは困難である。神はそのような困難の中に、主に仕えるものを置かれることがある。しかし、そこには神の語りかけと、臨在と守りが伴う。主に忠実な者を主は顧みてくださる。

2018/11/28(水) 担当 高谷清師 ヨハ 10:40-42 賛美 新聖歌 434.
 石で打ち殺そうとするユダヤ人たちの手を逃れて、去って行かれたイエスは、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていた所にやって来て、そこに滞在された。この場所はイエスの宣教の出発点であった。ジョン・C・ライルは「主がこの場所に、宮きよめの祭から十字架につけられる最後の過越の祭まで三、四か月にわたって滞在されたことは確実である。それは冬からイースターにかけてであった。(ライル福音書講解ヨハネ2P537聖書図書刊行会1987)」と述べている。多くの人がイエスのもとに来て「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。」と言った。
 ヨハネはイエスの道備えをするために神によって遣わされた預言者であった。彼は何のしるしも行わなかったが、来るべき救い主について宣べ伝えた。ヨハネのメッセージを聞いていた人々はイエスを見てそのメッセージが真実であったことを悟り、イエスを信じたのである。権力者は預言者の首をはねることはできる。しかし、神の言葉はつながれてはいない。ここに主を証しし、宣べ伝える者の慰めがある。

2018/11/29(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書46:1-12 賛美 新聖歌354
 エレミヤ書の最後の部分に諸国に対する預言が収められている。ここではまずエジプトに対する預言が語られる。ファラオ・ネコの軍隊がカルケミシュに出陣していたのは紀元前605年にヨシヤ王が命を落とした戦いであっただろう。この時、ファラオが軍事拠点としていたカルケミシュにバビロンの王ネブカドネツァルが攻撃をしてエジプト軍が敗北を喫したのである。強大な軍隊を誇ったエジプト軍にとってこの戦いの結末は驚きであった。敗北によって軍はパニックに陥った。ギレアドで乳香を手に入れよと言われているが、エジプトでは医学も発達しており薬である乳香は十分に賄えただろう。それでもこのように勧められているのはエジプトが大きな痛手を受け、ここから回復することの難しさを伝えている。
 エレミヤはこの予想外のエジプトの敗北を主の業であるとしている。それは「主なる万軍の日/主が敵に報いられる報復の日」(46:10)であった。様々な面で力を誇る国々が永遠に栄えるように見えても、すべては主の御心に服するのである。

2018/11/30(金) 担当 高谷清師  詩 40:4-5 新聖歌 302
 苦難の中で信仰と忍耐を持って祈り続ける作者に神は救いを与えてくださった。滅びの穴、泥沼から引き上げ、岩の上に立たせ、しっかりと歩ませてくださった。作者の口からは神への賛美があふれ出た。この賛美について作者は「わたしの口に新しい歌を/わたしたちの神への賛美を授けてくださった。」と詠っている。この箇所についてA. ヴァイザーは「作者は、単に神の全き救いの経験だけでなく、彼が救いに対する感謝として歌った神への讃美の歌そのものもまた神の贈物であると見なす。人間が現にあるところの自分および自分の所有のいっさいを賜物として神の手から受けるこのことのうちに、信仰の真のへり下りの姿が示されている。」(ATD旧約聖書註解詩篇上P440ATD・NTD聖書註解刊行会1983)と述べている。パウロは「あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。」(汽灰 4: 7)と述べている。私たちの全存在は神に拠っているのである。謙虚な信仰に生きよう。

2018/12/1(土)担当 高谷由紀子師 マコ 1:29-34 賛美 新聖歌 127
 シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネは主に召され、弟子として仕えていました。主は彼らと共にシモンとアンデレの家に行かれました。その時シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていることが主に伝えられました。それを聞かれた主はその病気を癒してくださいました。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来ました。主は彼らの病を癒し、多くの悪霊を追い出してくださいました。主は病に対しても、悪霊に対しても権威を持っておられるお方です。




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