デボーションの友
デボーションの友 : 2018/10/1-6
投稿者 : takatani 投稿日時: 2018-09-30 23:25:25 (54 ヒット)
デボーションの友

2018/10/1 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10: 10-11 賛美 新聖歌 235
 イエスはご自身が来られた目的について「羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と言われる。更に「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と語られる。罪を犯し、神の前に失われ、死んでいた者に命を得させるためにイエスは世に来てくださり、十字架に架かって血を流し、命を捨ててくださった。このことによって罪に死んでいる者が命を受ける道が開かれた。パウロは「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」(ロマ 1:16)と述べている。罪に死んでいた者のために命を捨ててくださったイエスを信じる信仰によって命を受けることが出来るのである。

2018/10/2(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書38:14-23 賛美 新聖歌428
 ゼデキヤ王がエレミヤと話すのはこれで三度目である。王はエレミヤと公に会うことができないほど自分の住む場所の安全をも感じていなかった。エルサレムの危機的な状況を知りながら、エレミヤから何度も告げられていた神の言葉に従う決断もできなかった王がここに至ってまだエレミヤの助言を求めている。エレミヤは最初は王に再度神の言葉を告げることを拒否する。しかし王が信仰によって主にかけて誓ったときにエレミヤは同じ言葉を語った。ゼデキヤ王がバビロンに降伏せよという神の言葉に従わなかったのは王が全く神を信じていなかったからではない。王は信仰を持っていたが、それでも彼の弱さと決断力のなさのために神の御言葉に従わなかった。
 心で神を信じていることは神と共に生きる者の基本である。神と共に歩むためには神の言葉に立って決断し、信仰を働かせて行動することが必要である。私たちも与えられた信仰を働かせて主に従う人生を歩もう。

2018/10/3(水) 担当 高谷清師 ヨハ10: 10-11 賛美 聖歌 273
 イエスはご自分が来られた目的について「羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と語られた。「羊が命を受ける」ことについては、先日学んだ。しかしイエスはそれだけではなく、「豊かに受けるためである」と言われている。イエスの十字架の御業を信じ、救われ、命を受けたことは素晴らしいことである。しかしイエスは私たちがさらに豊かに受けるために来てくださった。私たちの家庭に新しい命が与えられること、子供が与えられることは大きな喜びである。しかし与えられた子供は成長することが望まれる。そのためには両親が、その家族が子供を愛し、庇護し、サポートすることが必要である。また、子供は両親をはじめ自分を支えている人々の言葉に従うことが求められる。イエスは新しく生まれた命が豊かに成長するために、御言葉を豊かに与えてくださる。新しく命を与えられた者はイエスのみ言葉を信仰によって受け入れ、それを糧としてさらに豊かな命へと進むのである。日々御言葉に親しみ、祈り、聖霊による神との交わりの中で豊かな命に与る者となろう。

2018/10/4(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書38:24-28 賛美 新聖歌345
 王がエレミヤと話し終えた時、何を最も心にかけていただろうか。少なくとも私たちが聖書の言葉から知り得るのは王の最大の関心事はいかに神の言葉に従って正しい決断をするかということではなかった。王はエレミヤの命が守られるために行動しているという体裁をとりながら、二人の会話の内容が高官たちに知られることを恐れている。最後までバビロンと戦うことを望んでいる高官たちが、反対のことを主張するエレミヤと王が会見して対応について話し合っていたことを知れば王自身がその地位を追われるかもしれない状況で、王は自分の身を守ろうとしたというのが真相であった。
 神を信じる人が恐れるべきことは何だろうか。それは神の言葉に従うことを妨げようとする他の人々ではない。その人々がどれほど力を持っているように見えても、私たちが怖れるべきお方はただ神一人であり、従うべきお方もただ神のみである。常に神の導きを聞き分けて、あらゆる恐怖を乗り越えてただ神だけに従おう。

2018/10/5(金) 担当 高谷清師  詩 39:3−5 賛美 新聖歌 321
 詩人は「わたしの道を守ろう、舌で過ちを犯さぬように。神に逆らう者が目の前にいる。わたしの口にくつわをはめておこう。」と決意した。しかし、神に逆らう者を前にして、沈黙を守ることは困難であった。「わたしは口を閉ざして沈黙し/あまりに黙していたので苦しみがつのり、 心は内に熱し、呻いて火と燃えた。」のである。そこで彼は舌を動かして話し始めた。「教えてください、主よ、わたしの行く末を/わたしの生涯はどれ程のものか/いかにわたしがはかないものか、悟るように。」と。この時、彼が話したのは神に逆らう者に向ってではなく、神に向ってであった。日々の生活において「神に逆らう者」を目にして私たちの心は義憤を覚える。しかし、その目を自分の内に向ける時、同じことが、程度の差こそあれ、自分の内に存在するのを見る時、その言葉は「神に逆らう者」への非難と裁きではなく、神への祈りとなるのである。パウロは「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。」(ガラ 6:4)と述べている。常に、人の前にではなく、神の前に歩もう。

2018/10/6(土)担当 高谷由紀子師 ヨハ 1:40-42 賛美 新聖歌 302
 アンデレはイエスの十二弟子の一人です。ここにアンデレが始めてイエスに出会った時のことが書かれています。彼は兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言いました。また彼は後に大麦のパン五つと魚二匹を持っている少年をイエスのもとに連れて来ました。このように、アンデレは日常生活の中で身近にいる人々をイエスのもとに連れてきています。アンデレは目立って行動する人ではありませんでしたが、謙遜に、忠実に証をし、仕えた人でした。もしアンデレが兄弟ぺトロをイエスのもとに連れて来なかったら、聖書に記された素晴らしい主の御業の幾つかは見ることはできなかったかもしれません。アンデレのように日常生活の中で忠実に証をする人を通して神は働かれます。私たちも身近な人に忠実に福音を証しする人になりましょう。


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