デボーションの友
デボーションの友 : 2018/7/30-8/4
投稿者 : takatani 投稿日時: 2018-07-29 23:05:47 (43 ヒット)
デボーションの友

2018/7/30(月) 担当 高谷清師 ヨハ 9:6-7 賛美 新聖歌 40
 この箇所には、イエスが通りすがりに遭遇された、生まれつき目の見えない人をイエスが癒された出来事が記されている。弟子たちとの会話を終えられたイエスは、生まれつきの盲人に近寄り、地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになり、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来たのである。彼が帰って来た時、イエスはもうそこにはおられなかった。
 この記事を読むと、盲人はイエスに癒しを求めてはいない。一方的にイエスが彼に近寄り、地面に唾をし、その唾で泥をつくり、盲人の目に塗り、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われ、盲人はその言葉に従った結果、その目が開かれたのである。ヤコブは「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコ 1: 21)と述べている。

2018/7/31(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書32:1-5 賛美 新聖歌323
 エレミヤが預言したのは、ユダはバビロンに攻撃されて国は存亡の危機にある、大変な時代であった。この混乱した時代に神からエレミヤに託された言葉は、喜ばしく民に受け入れられるメッセージではなかった。実際にエレミヤは既に敵に投降したという疑いをかけられて投獄されていた。その時にもなおエレミヤはユダの民がバビロンに捕囚とされ、敵に勝つことはできないという、明らかに人びとの反感を買う言葉を語った。
 神の言葉を聞きたいと願う時、人びとは励ましと祝福の宣言を期待する。しかしエレミヤに託された言葉のように、神の言葉は民を励ますだけではなく、現状を認識させ、裁きを宣言し、なおも悔い改めを迫る言葉でもあり得る。神の言葉を期待するとき、自分の聞きたい言葉を期待するのではなく、何が語られてもそれを受け入れるという姿勢をもって聞く者でありたい。

2018/8/1(水) 担当 高谷清師 ヨハ 9:8-12 賛美 聖歌 265
 生まれつき目の見えなかった彼が、見えるようになって帰って来たのを見て、近隣の人々は大騒ぎになった。前に彼が物乞いであったのを見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。それに対して「その人だ」と言う者もあり、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。しかし、本人が「わたしがそうなのです」と言ったことによってこの問は決着した。そこで人々が「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と尋ねると、「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」と答えた。更に人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。彼は、このように事実をありのままに答えている。私たちが自らの救いの証をする時、脚色する必要はない。事実をありのままに語ることが大切である。

2018/8/2(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書32:6-15 賛美 新聖歌384
 エレミヤのいとこであるハナムエルがエレミヤのもとに来て土地購入を依頼した。ハナムエルが来たとき、エレミヤはこの申し出が神の御心であることをすぐに確信することができた。それは神が前もってエレミヤに起こることを告げておられたからである。それ故に、エレミヤ自身が捕囚を預言している、滅びが目前に迫ったこの国のこの土地を買い取ることを決断した。神の言葉であると知って土地購入契約を進めていくが、それがいかなる意味を持つかを明かされるのは一連の手続きが完了してからである。預言者といえどもエレミヤは信仰をもって神の言葉に従うことを求められた。エレミヤがそのように神に従ったときに主のことばが臨み、将来捕囚を経験したのちに再び民がこの土地に住まう日が来るというこの契約によって明らかにされる神のご計画が語られる。
 時として神はご計画全体を明らかにされる前に私たちに従うことを求められる。その時、エレミヤのようにためらいなく従うことができる秘訣は確かにこれが神から出たものであると知ることである。聖霊の導きの中に歩み、常に神の御声を聞き分けよう。

2018/8/3(金) 担当 高谷清師  詩 38:1-9 賛美 聖歌 556
 ダビデは今、重い病気に罹っている。それを、自らが犯した過ちのためであると告白している。それにしても、重い病気に伴う苦痛は甚だしいものであったので、信仰によって「主よ、怒ってわたしを責めないでください。憤って懲らしめないでください。」と祈りながらも、肉体のみならず、心も消沈し、発する言葉もない。彼は「もう立てないほど打ち砕かれ/心は呻き、うなり声をあげるだけです。」と告白する。
 パウロは「被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」(ロマ 8:23)と述べ、更に「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(ロマ8: 26)と述べている。失意の底に在って神に向って言葉を発することさえできない時、御霊は私たちを助け、執り成してくださる。

2018/8/4(土)担当 高谷由紀子師 競灰1:3-7 賛美 新聖歌 416
 パウロは主から受けた福音宣教の使命を遂行していくうえで、競灰11:23-28に記しているように、数々の試練と苦難に遭遇しました。その試練と苦難に勝利させたのは十字架で死に、復活されたイエスキリストでした。パウロはこのお方を「忍耐と慰めの源である神」(ロマ 15:5)と呼んでいます。パウロはキリストの故に受けた苦難に、キリストから与えられた慰めによって勝利し、同じ苦難にある人々をも慰めることが出来たのです。私たちもキリストに結び付くことによって人々の慰めとなる聖徒になりましょう。


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