デボーションの友
デボーションの友 : 2018/4/9-14
投稿者 : takatani 投稿日時: 2018-04-08 23:28:59 (11 ヒット)
デボーションの友

2018/4/9(月) 担当 高谷清師 ヨハ 7:51-52 賛美 聖歌 501
 イエスを殺そうと図る議員やファリサイ派の人々は、ニコデモの「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」と言う抗議に対して「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」という言葉をもって一蹴する。ミカ書には「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」(ミカ 5:1)と記されている。更にマタイは「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」(マタ 2:1)と述べている。もっとも、この時点においてはマタイによる福音書は存在しなかった。しかし、議員やファリサイ派の人々は、神に聴かず、イエスの真実を把握せず、断罪したのである。私たちも同じ危険に直面している。常に御言葉と聖霊の導きに心を注ごう。

2018/4/10(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書24:1-10 賛美 新聖歌170
 旧約聖書では「捕囚」についてしばしば語られる。捕囚と言えば、エルサレムが紀元前586年にバビロンに滅ぼされた時に捕虜として連れて行かれ、その先で定住した人々だと考える。しかし実はこの10年前にもエホヤキン王と指導者たちがバビロンに捕囚として連れ去られている。エルサレムに残った人々は最初の捕囚となった人々が神の裁きを受けて滅びる者たちであるのに対して、自分たちは神の裁きを免れ、神の好意と祝福をエルサレムで受け続ける思い、自分の生活が安泰であると考えていた。しかしこの時、神はエレミヤに二つの籠に盛られた無花果を示して、連れ去られた人々が裁きを受けたのではなく、彼らこそが神に選ばれた者であると言われる。
 私たちの周りに起こる状況を自分の都合良く解釈していないだろうか。最初の捕囚を免れた人々が、自分は助かったと考えたことは人間的に理解できる。しかし、神はそうではないと言われた。日々私たちの周囲で起こる出来事を私たちの視点からではなく、神の視点から見て、神の御心を理解しつつ歩めるよう、霊の目を開いて祈り続けよう。

2018/4/11(水) 担当 高谷清師 ヨハ 8:1-11 賛美 新聖歌 397
 この箇所に新共同訳聖書は「わたしもあなたを罪に定めない」と言う見出しを付けている。この箇所について内村鑑三は『是は如何見ても一幅の画である。而かも画家の想像に成りたる画でない。事実を示さるゝにあらざれば如何なる画家と雖も如此き名画を画くことは出来ない。其趣向が全然超人的である。「未だ此人の如く言ひし人あらず」である(七章四六節)。茲にイエスの為人が明かに画き出されてある。イエスは如此き人であつたと言ひて、之を読む何人も驚き且嘆賞せざるを得ない。新約聖書は多数の小福音書より成る福音書であるが、此一編の如き之を全福音の縮写として見ることが出来る。もし此編丈けが存つてゐたとして、イエスの感化は永久に消えない。之を基礎として我信仰を其上に築く事が出来る。』(内村鑑三全集第32巻P224−225 岩波書店1983)と述べている。比類なきイエスの真の姿を見る。

2018/4/12(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書24:1-10 賛美 新聖歌202
 民の予想に反して、主は最初に捕囚として連れ去られた人々が「良し」とされて、彼らに恵みを与え、彼らに目を留め、彼らを約束の地に連れ帰ると言われた。罰を受けたように見えた人々が、実は恵みを受けていたということ自体も驚くべき逆転である。しかしそれ以上に神が彼らを「建てて、倒さず、植えて、抜くことはない。」(24:6)として、エレミヤ1章10節と同じ表現を用いて神の変わらぬ真実を示されたことが驚きであった。さらに民は自分では神を知ることができなかったにもかかわらず、悔い改めてもいない人々にただ一方的な神の決断により新たに神を知る心を与えて、再び契約を結ばれるという。罪に沈む人々に対する最大の神の愛、無条件の赦しと、神の再創造による関係の回復が与えられる。
 どこまでも民を求め、関係の回復を求められる神の愛と赦しが驚くべき方法で示されている。改めてただ神の恵みにより罪を赦され、生かされ、神との交わりの内に歩ませていただいていることを感謝しよう。

2018/4/13(金) 担当 高谷清師  詩 37:12-13 賛美 新聖歌 361
 詩人は「主に従う人に向かって/主に逆らう者はたくらみ、牙をむくが、主は彼を笑われる。彼に定めの日が来るのを見ておられるから。」と詠う。エジプトの国で奴隷となっていた民を、神はモーセを立てて数々の力ある業をもって導き出された。民が去った後、ファラオは心を変えて民の後を追い、葦の海のほとりに宿営している民に迫った。前方を海に阻まれ、後方からは訓練され、装備を整えたエジプト軍に迫られ、民は進退窮まった。その時、先頭に立って民を導いていた雲の柱は後方に移り、エジプト軍が民に追いつくことを阻んだ。更に神は前方の海の水を退かせ、民はそこを渡った。民が渡り終えると神は水を元のとおり流れ帰らせ、民を追って海に入ったエジプト軍を滅ぼされた。
 権勢を誇り、主に従う人に向かって牙をむく者の最後を、神は見ておられる。主に従う人々、主を仰ぎ見、信仰によって歩もう。

2018/4/14(土)担当 高谷由紀子師 ルカ 8:1-3 賛美 新聖歌 438
 主イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、旅を続けておられました。その宣教の旅には十二人の弟子たちのほかに、悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たちやヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも同行していました。彼女たちは信仰と献身によって主の宣教の働きを支えたのでした。彼女達の働きは地味な、陰の部分の働きでしたが、不可欠のものでした。私たちも、与えられた働きが目立つ働きであれ、目立たない働きであれ、心を込めて仕える者になりましょう。


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