デボーションの友
デボーションの友 : 2018/2/19-24
投稿者 : takatani 投稿日時: 2018-03-18 23:22:52 (46 ヒット)
デボーションの友

2018/3/19(月) 担当 高谷清師 ヨハ 7:40-44 賛美 新聖歌
 イエスの語られたことを受けて、「イエスは誰か」と言うことについて群衆の間に対立が生じた。ある人々は「この人は、本当にあの預言者だ」と言い、ある人々は「この人はメシアだ」と言い、またある人々は「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」と言って、イエスがメシアであられることを否定した。パウロは「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。」(汽灰12:3)と述べている。イエスをメシアと認めることが出来るのは聖霊の働きによるのである。イエスをメシアと認めることが出来なかったのは不完全な自らの知識に頼った人びとであった。
 聖書はイエスが再び来られると述べている。その時、不完全な自らの知識に頼ってイエス様を見誤ることが無い様、常に目を覚まして祈り、聖霊と共に歩み続けよう。

2018/3/20(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書23:13-15 賛美 新聖歌206
 預言者は神のことばを人々に伝える者である。神に従って歩む人々を導く立場の預言者が、ここでは明確にその罪を指摘されている。預言者自身の生活が姦淫という悪に染まり、彼らは偶像の名によって預言を行う。そして預言者こそが人々を罪と汚れに導いていると言われる。
 本来神の前に正しく人々を導くべき指導者の間に悪が満ちているという状況は大変衝撃的である。しかし今日でもこのような状況が起こり得ることを無視してはならない。指導者として立てられた人々も人間である限り罪に陥る可能性がある。それゆえ神に召されて仕える人々は、常にみ言葉に従って正しく歩んでいるかと自分を省みなければならない。また、教会も指導者が正しく主の前に歩むことができるように祈らなければならない。主の憐れみと導きによって教会が正しく歩むことができるよう、祈ろう。

2018/3/21(水) 担当 高谷清師 ヨハネ 7:44 賛美 新聖歌 206
 イエスの言葉を聞いた者たちの中にはイエス捕縛のために使わされた祭司長たちやファリサイ派の下役たちがいた。彼らはイエスを捕らえようと思ったが、手をかけることが出来なかった。マタイは、イエスが語られる時の様子について「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。」(マタ 7:28-29)と記している。イエスは神から遣わされた御子であり、神の権威をもって語られた。それ故、時が満ちて神の御心、贖いの御業の成就のために自らを委ねられるまでは何人もイエスに手をかけることはできなかったのである。
 社会生活においてキリスト者ゆえに不当な扱いを受けることがあるかも知れない。困難に直面することがあるかも知れない。しかしイエスは「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」(マタ10:29)と語っておられる。すべては神のみ手の中にあることを覚え、信仰によって歩もう。

2018/3/22(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書23:16-22 賛美 新聖歌21
 エレミヤはここでも激しく預言者達を批判している。なぜ預言者の言葉を聞いてはいけないのか、あるいはどのような預言者の言葉を拒否すべきだというのだろうか。エレミヤは預言者達が人々に空しい望みを抱かせていると述べている(23:16)。すなわち、人びとが神のことばである律法に聞き従わないで罪の中を歩んでいるにもかかわらず、彼らに平和を保証するような言葉を語る者は真の預言者ではないと語っている。本来神の救いは人々が神のことばに従い、神に背いていたことを悔い改めるときに与えられる。それがないままに平和と救いを約束する言葉は神から出たものではありえない。
 神のことばが語られるとき、常にその内容が聖書に従って吟味されなければならない。またそれは聖霊の導きに従ってなされなければならない。

2018/3/23(金) 担当 高谷清師  詩 37:7 賛美 新聖歌 458
誠実に神に従う者が苦難の歩みを強いられ、悪事を謀る者や不正を行う者が繁栄の道を歩むのを見る時、誠実に神に従う者の心に「主よ、何故ですか」との問いが起こり、悪事を謀る者や不正を行う者が悠々と繁栄の道を歩むのであれば、「自分もそのように」との誘惑が忍び寄る。ここで悪事を謀る者や不正を行う者の理不尽な行いによって苦難の歩みを強いられながら勝利を得た詩人が「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。」と教える。A. ヴァイザーは「静かに神を待ち望む姿勢は棚ぼた式に与えられるのではない。それは人間的な自我の主張に対する自分との苦闘を通して得られる勝利の栄冠である。・・・信仰によって静かに神を待ち望み、自己を克服することを学んだ者にとっては、策略をめぐらす敵たちの成功ももはや全く気にかからない。」(ATD旧約聖書註解詩篇上P414 ATD・NTD聖書註解刊行会1983)と述べている。御言葉に立ち、聖霊に教えられ、導かれ、助けを得て勝利の道を歩もう。

2018/3/24(土)担当 高谷由紀子師 ルカ 12:13-21 賛美 新聖歌 315
 金銭は人が社会生活をしていくうえで必要不可欠なもの一つであり、生活を快適にするものの一つでもあります。それ故、お金さえあればどんなことでもできると思い、金銭至上主義の生活をする人が現れて来ます。
 イエス様は「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」とお願いした人の願いを取り上げ「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」と語り、畑が豊作だったある金持ちの例を取り上げて、人に命を得させるもの、本当に大切なものについて教えられました。世の富ではなく、神の国の富を求めて歩みましょう。


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