デボーションの友
デボーションの友 : 2018/1/8-13
投稿者 : takatani 投稿日時: 2018-01-07 23:17:51 (12 ヒット)
デボーションの友

2018/1/8(月) 担当 高谷清師 ヨハネ ヨハ 6: 60-71 賛美 新聖歌 191
 大麦のパン五つと魚二匹をもっておよそ五千人の人々に食事を与えられたイエスの奇跡を体験した人々は、翌日もまた同じ奇跡を求めてイエスの周りに集まった。しかしイエスは彼らに昨日と同じように肉の糧を与えることはなさらず、「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」と語り、「わたしが命のパンである。」と教えられた。そして「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」と教えられた。これに対し人々は「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」とつぶやき、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
 太平洋戦争敗戦後、欧米諸国は日本に多くの宣教師を送り、貧困に苦しむ日本人のために多くの物資を提供した。教会に行くとチョコレートがもらえる、教会に行くと衣服がもらえる、多くの人々が教会に群がった。しかし、衣食足りた時彼らは去った。
 主は「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタ 22:14)と語られる。主の招きに信仰によって応答し、留まろう。

2018/1/9(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書18:7-12  賛美 新聖歌343
 ひとつの民や王国を神が取り扱われる方法は2つある。断罪して滅ぼすか、あるいは建て上げるかである。この二つの取り扱いのうち、神がどちらを選択されるかは気まぐれによるのではない。それは民の応答によって決まる。この7節から10節を見ると、神の恵みと救いは宗教的楽観主義的ではないことが分かる。信仰をひとたび告白すれば常に神のめぐみが降り注ぎ、生活が良くなり、試練に合うことはないという考え方に人はあこがれる。しかし、大切なのは人生のある時点における一度きりの信仰告白ではなく、日々移り変わる状況において常に神の変わらない言葉と命令を生活の真ん中に据えて自ら罪を犯したならばそれを悔い改めて常に神に聞き従うか、あるいは神に従わないかという日毎の応答である。それゆえエレミヤはユダの人々とエルサレムの住民に対して悔い改めを呼びかける。
 神は私たちに恵みを与えたいと願い、備えてくださっている。それを実際に受けるためには私たちの継続的な神への従順が求められている。神を畏れる生き方があってこそのめぐみである。

2018/1/10(水) 担当 高谷清師 ヨハネ 6:60-71 賛美 新聖歌 201
 弟子たちの多くが離れ去って行くのを見てイエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。これに対してぺトロは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と答えている。この福音書の冒頭においてヨハネは「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(ヨハ 1:1-4)と記した。人となられた神の言イエスこそ真の、永遠の命である。

2018/1/11(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書18:13-17  賛美 新聖歌263
 預言者は様々な表現を用いて民の罪を指摘する。エレミヤは悔い改めるよう警告したのちに民が生きている現状について語る。どの国々に尋ねても歴史上前例のないおぞましいことをイスラエルが行っているという。さらに自然現象を引き合いに出して、イスラエルが神を忘れるという、考えられないことが起こったと述べる。神を忘れることはすなわちイスラエルが神ではないものを神としてあがめ、礼拝することであった。神から離反するという彼らの選択には代償が伴う。神は彼らを永遠に嘲られる者とされる。
 神を信じて神との親しい関係の中に生きるという信仰の決断をするということはその一瞬における感情的な応答ではない。これは生涯を通じて良いときにも悪いときにも神を第一として、神に信頼して神の御心に従って生き続けるということである。既に信仰を告白して神の恵みの中に生かされている私たちは、祝福を受ける時も、試練に直面するときも、真の神だけを信じて共に歩もう。

2018/1/12(金) 担当 高谷清師  詩編 36:6-7 賛美 新聖歌 250
 ダビデは2−5節において「神に逆らう者」について語った。神に逆らう者、神を認めない者はダビデの時代のみならず、いつの時代にも、あらゆる場所で栄え、わがもの顔に闊歩している。この現実の前に、神に従うと口で言い表す者達の中にも「賢い処世術」などと言って権力者の座に座る「神に逆らう者」に迎合する者が現れる現実がある。しかしダビデは詠う「主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。恵みの御業は神の山々のよう/あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。」と。カルヴァンは「神が野獣にまでその摂理を押し及ぼすをよしとされるとすれば、人間の事柄にはいっそうのこと配慮される、という点を指し示す。まことに、われわれの心のうちに、神の摂理について何らかの疑いが生ずるような場合にはいつでも、野の獣をさえ養い、これをその状態に保たれる神が、人類に対して何の配慮もなしにこれを放置されるはずがない、というこの盾を取り上げるべきである。」(カルヴァン旧約聖書註解詩篇毅448新教出版社1970)と述べている。世が如何に語ろうとも、如何にふるまおうとも、神の慈しみは満ちおており、神の裁きは厳然として存在する。敬虔な信仰をもって主に従おう。

2018/1/6(土)担当 高谷由紀子師 マコ 1:16-20 賛美 新聖歌 395
 シモンとシモンの兄弟アンデレは仕事中に呼び出されました。ヤコブとヨハネは仕事の後始末をしている時に呼び出されました。仕事はどうなるのか、家族のことはどうするのか、近所や親戚の付き合いは、将来のことは、・・・・・なぞ、多くのことが気にかかりました。しかし彼らはそれらの問題を後にしてすぐにイエス様に従いました。彼らは、従って行く中で一つ一つ解決されていく喜びを経験しました。主に呼びかけられ、召されたなら直ちに従うだけで十分です。すべてのことはイエス様ご自身が解決してくださることを信じましょう。


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