デボーションの友
デボーションの友 : 2017/12/4-9
投稿者 : takatani 投稿日時: 2017-12-03 23:49:23 (18 ヒット)
デボーションの友

2017/12/4(月) 担当 高谷清師 ヨハネ ヨハ 6: 34-40 賛美 新聖歌 103
 イエスは「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。」と言われ、「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」と言われる。イエスは自分の意思を行うために来られたのではなく、神の御心を行うために来られたのであり、神の御心は「子を見て信じる者が皆永遠の命を得ること」であった。ぺトロは「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」(汽撻 2: 24)と述べている。イエスが父なる神の御心を行うためには十字架の苦難と死が必要であった。イエスは私たちに対する愛の故にこの苦難を受けてくださったのである。心から感謝しょう。

2017/12/5(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書16:1-13  賛美 新聖歌340
 預言者エレミヤに対する神の命令は大変厳しかった。妻を娶ることを禁じ、死者を悼むことも許さず、あらゆる人々との交わりを禁じる神のことばはあまりに預言者にとって酷である。神はこのエレミヤに課せられた生涯を通してもイスラエルの人々にメッセージを伝えられた。ホセアやイザヤ同様に、エレミヤも彼自身の生涯全体をささげて神に仕えるのである。最終的に神はこの大いなる災いを被る理由が民自身にあるということを述べられる。神の言葉と御心に聞き従わず自分勝手に歩んで神を捨てた民を、神ご自身が同じように裁き、追放される。
 神は御自分を信じる者に心からの従順を求められる。その神の命令を軽んじて神を捨てる者は交わりから絶たれ、神によって与えられた土地から追放される。最終的に厳しい神の裁きを申し渡される前に、今一度自分自身と神との関係を振り返り、神のことばを真摯に受け止め、従う生活を始めよう。

2017/12/6(水) 担当 高谷清師 ヨハネ6: 41-51  賛美 新聖歌 344
 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」と記されている。ユダヤ人たちはイエスの両親、ヨセフとマリアを肉において知っており、またイエスをも同様に知っていた。しかし彼らは不信仰の故に神の言を拒み、イエスの真の姿を、神の子イエスを知ることが出来なかった。パウロは「それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。」(競灰5:16)と述べている。私たちは信仰によってイエスを知る者、霊的なものによって霊的なことを知る者となろう。

2017/12/7(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書16:14-15  賛美 新聖歌
 16:1-13の厳しい預言者の言葉を聞いてきた人々にとって14-15節の新たな時代における救済の約束は驚きである。神はご自身を捨てて偶像を礼拝する人々に対して、恩恵を施さないとまで言われた(16:13)。これは神の民に対する怒りと厳しさを表している。どれほど罪を犯してもその責任を問うことなく、赦して受け入れる神の姿ではない。それにも関わらず、14節では突然新たな時代の救いが語られている。この新しい救いは、約600年もの間イスラエルにとって神の救いの証しであり、信仰の礎であった出来事を越えるほどのすばらしい救いの経験となると告げられている。
 神はご自身の民に対する真実と愛の故にこの新しい救いを語られる。人々は神を捨てて自分勝手な道に進むが、そのような民をも見捨てることなく、神は常に真実である。ただただ、驚くべき神の愛と憐れみによって私たちは赦され、神によって救われ、贖われたのであるということを改めて教えられる。神の深い憐れみと真実に感謝しよう。

2017/12/8(金) 担当 高谷清師  詩編35: 24-26 賛美 新聖歌 22
 ダビデは悪を為す人々について主に祈る。悪を為す人々は権力者と共にあり、権力者の側に立つ人々である。彼らは神の前には不義者であっても、世的には多数派であり、主流派である。悪を為す人々は権力者であり、多数派であり、主流派であることをもって、義に生きる人々を迫害する。ダビデは、このような人々について神が正しい裁きを行ってくださるよう、祈り求めているのである。パウロも迫害のもとで苦しむテサロニケの信徒に対し「神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。」(競謄1:6-7)と書き送っている。今日も福音に誠実に歩もうとする聖徒に対し、権力者は同じようなことを行う。しかし、神はすべてを見ておられ、見落とされることはない。

2017/12/9(土)担当 高谷由紀子師 ロマ 13:11-14 新聖歌465
 今年もアドベントを迎えました。主は全人類の罪を赦し救うために二千年前に世に来てくださいました。キリスト者はこのことを喜び、クリスマスを祝います。しかし聖書は「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。」と記しています。主は再び世に来られます。最初の来臨は世人の救いのためでしたが、再臨は世を裁くために来られるのです。主が何時来られてもよいように「酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。」と言う勧めを覚え、日々慎み深く歩みましょう。


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