デボーションの友
デボーションの友 : 2017/11/27-12/2
投稿者 : takatani 投稿日時: 2017-11-26 22:41:54 (25 ヒット)
デボーションの友

2017/11/27(月) 担当 高谷清師 ヨハネ ヨハ 6:34-40 賛美 新聖歌 201
 「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」と言うイエスの言葉を受けて人々は「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言った。それに対してイエスは「わたしが命のパンである。」と言われた。そして「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」と言われる。イエスご自身が私たちにまことの命を得させるパンであり、このイエスを信じること、イエスと人格的な交わりを持つことによって私たちの内にまことの命が与えられるのである。教条的な信仰ではなく、豊かな命を得させるイエスとの豊かな霊の交わりに生きよう。

2017/11/28(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書15:10-16 賛美 新聖歌339
 エレミヤは国中で疎まれ、呪われ、苦しんでいる。エレミヤ自身がそれは彼自身の悪の行いによるものではなく、神に仕えて神のことばを語った結果だと知っている。エレミヤを呪う人々に対してエレミヤはなお幸いを願い、神の前に執り成しをした。その苦しい心情をエレミヤは包み隠さず神に訴え、自分を守り、敵対する者に対して神が復讐してくださるよう求める。
 私たちも理由なく人々の攻撃の的になる時があるかもしれない。そのような時、感情を持つ一人の人間として自分の手で報復してしまうかもしれない。しかし、エレミヤはそうはしなかった。エレミヤは不条理な呪いに対しても直接応戦するのではなく、迫害者に対する復讐を神の手に委ねた。そしてエレミヤ自身は神から与えられるみことばを受け取って喜び踊った。神に仕える者の真の姿がエレミヤの内に見られる。

2017/11/29(水) 担当 高谷清師 ヨハネ6:34-40  賛美 新聖歌 355
 イエスは「あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。」と言われる。父なる神は罪人に命を得させるため、命のパンである御子イエスを遣わされた。今、命のパンは人々の眼前におられる。そして自身がそれであることを語っておられる。しかし人々は見ているのに信じない。ヨハネは福音書の始めの部分に「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハ 1:9-13)と述べている。見て信じる信仰、神から与えられた啓示を従順に受け入れ、それにより頼む信仰は聖霊によって導かれる。常に聖霊に従順な歩みをしょう。

2017/11/30(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書15:17-21  賛美 新聖歌427
 エレミヤの嘆きの告白は続き、神に対する怒りと不満となって噴き出す。神ご自身がエレミヤに対して不誠実であると責めている。それに対する主の答えは同情や励ましではなかった。神はエレミヤにご自身に立ち帰る必要があることを気付かせ、立ち帰るという選択肢を与えられた。神はエレミヤが神に仕えているがゆえに苦しんでいることをご存知であったが、それはエレミヤが神から離れることの口実にはならなかったし、そのような態度を許されなかった。神はエレミヤが神のもとに立ち帰って信仰をもって歩むことができるように導かれた。そして神の導きは最初にエレミヤが召し出された時と同じ、神が共にいて助け、救い出すという約束を伴うものであった。
 神に従う中で、気付かぬうちに神の導きから逸れてしまっていることがあるかも知れない。しかし神は愛を持って私たちに立ち帰れと呼びかけ、私たちがその招きに再び応じるならば、受けいれて下さる。

2017/12/1(金) 担当 高谷清師  詩編35:22-23 賛美 新聖歌 315
 理由なき嫉妬の故に世の権力をもって、真実に生きる者を迫害する権力者と、彼にすり寄ろうとする者たちの悪行に対し、ダビデは「主よ、あなたは御覧になっています。沈黙なさらないでください。わたしの主よ、遠く離れないでください。」と祈る。そして「わたしの神、わたしの主よ、目を覚まし/起き上がり、わたしのために裁きに臨み/わたしに代わって争ってください。」と求める。この箇所についてカルヴァンは「ダビデは、このように語りながら、その敵と論議を交えることを楽しみとしているのではなく、むしろ真直に神に向って言葉を向け、また彼を揺り動かし、大いに悩ます激烈な攻撃に対立して、神の摂理によって身を装い、これをその防塁としているのである。まことに、もしわれわれが、敵の嘲弄と冷笑に対して、しっかりと武装を整えることを望むならば、至善の道はこれを無視して、われわれの霊を神にまで高め、神がわれわれに対して抱かれる、父としての配慮に身を委ね奉り、神がわれわれの敵に対するに十分な力を持つことを、実効をもって明らかにしてくださるように、と乞い求めることである。」(カルヴァン旧約聖書註解詩篇毅438新教出版社1970)と述べている。主は「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタ 5: 39)と教えておられる。パウロも「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」(ロマ12: 19)と述べている。主に信頼し、み手に委ねて歩もう。

2017/12/2(土)担当 高谷由紀子師 汽撻肇4:7-11 聖歌465
 「万物の終わりが迫っています。」と記されています。今は確かに「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。」(マタ 24:7)と言われているとおりです。その為、私たちクリスチャンは「絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」(エフェソ 6:18)という勧めを心に留め、いつ主が来られてもよいように、思慮深くふるまい、身を慎んで、祈る歩みを続けましょう。


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