デボーションの友
デボーションの友 : 2017/11/6-11
投稿者 : takatani 投稿日時: 2017-11-05 22:55:24 (26 ヒット)
デボーションの友

2017/11/6(月) 担当 高谷清師 ヨハネ 6:22-27 賛美 新聖歌 452
 イエスのパンの奇跡によって満腹したことに味を占めた群衆が再びイエスのもとにやってきた。この群衆に対しイエスは「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と語られる。この箇所について大宮溥師は「「満腹する」は(中略〉元来は動物が餌を十分にとって満足している様子をあらわすものであり、「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ四・四〉ことを知らずに、肉の糧だけで満足している人間の「満足した豚」の姿をあらわしたものとも思われる。神の恵みのしるしは、信仰をもって受けとられ、恵みを与えたもう神に導くものとなるとき、「恵みのしるし」となるが、それ自体が関心の的になるとき、神への道を閉ざすつまずきとなるのである。」(説教者のための聖書講解No29P12日本基督教団出版局1979)と述べておられる。恵み深い主の奇跡の御業に与る時、信仰をもって受け止め、その背後におられる主ご自身に目を注ごう。

2017/11/7(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書13:12-17  賛美 新聖歌170
エレミヤは酒宴にふける人々に語り掛けているのであろう。皮肉を込めてエレミヤがさらに酒を満たせと語っても、彼らはエレミヤの警告に心を留めない。それに対してエレミヤは「酔いで満たす」という言葉を比喩的に用いて神の裁きが下されることを述べる。酒に酔っ払う人々は互いを道徳的な堕落へと導き、最終的に神の裁きを招くというかのようである。快楽にふけり、神のことばを受け止めない人々には最終的に神の裁きが宣言される。その裁きにもさらに警告が伴う。主の言葉に耳を傾け、主に栄光を帰せと。
 神を認めず、傲慢に歩む人々の罪を神は放置なさらない。しかし、裁きによって民が滅びることがないようにと、神は最後まで警告を与えられる。悔い改めへの招きを聞き取り、へりくだって歩む者となろう。

2017/11/8(水) 担当 高谷清師 ヨハネ 6:22-27  賛美 聖歌 273
 「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と語られた主は「これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」と語られる。それは、父である神が、人の子を認証されたからである。イエスが洗礼を受かられた時の様子をマルコは「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。」(マコ 1:9-11)と伝えている。またヨハネは「御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハ 3:36)と述べている。イエスこそ、父なる神によって遣わされた神の御子であり、信じる者は永遠の命を持つのである。

2017/11/9(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書13:18-27  賛美 新聖歌176
 預言者は王や太后など、身分の高い人に対しても分け隔てなく厳しい言葉を語る。社会的身分にかかわらず、すべての人が神の前に高ぶりを捨ててへりくだらなければならない。民が悔い改めない限り、北からの敵は彼らを襲い、彼らは辱めを逃れ得ないのである。さらに23節以降は罪に染まった民が自分の力ではそのしみを取ることはできないとはっきりと語られる。ひとたび神を離れ、力の無い偶像に依り頼み、そこに安住してきた民は自分の力で罪を洗うことはできない。人間の罪の深刻さを思い知らされる。
 人間は罪の深さと、その罪が自分の力では清められないことを深く認識しなければ本当の悔い改めへと導かれることはない。罪を認識するためには厳しい言葉も語られ、聞かれなければならない。悔い改めに導く厳しい言葉を語ること、聞くことを恐れてはならない。

2017/11/10(金) 担当 高谷清師  詩編35:11-16 賛美 新聖歌 205
 主に油注がれたダビデは、万軍の主の名によってゴリアトに立ち向かい、石投げ紐をもって打ち倒した。それを見たイスラエルとユダの兵士たちは鬨の声を上げてペリシテ軍を追撃し、勝利を収めた。サウルはその日、ダビデを召し抱えた。ダビデは、サウルが派遣するたびに出陣して勝利を収めた。サウルは彼を戦士の長に任命した。このことは、すべての兵士にも、サウルの家臣にも喜ばれた。しかしこの目覚ましいダビデの働きは、サウルの心に、ダビデに対する妬みを生じさせ、サウルはダビデに対し殺意を抱くようになっていく。このサウルの心の変化は周りの人々の間にも影響を及ぼす。世の権力者におもねる者たちはダビデに敵対するようになり、不実をもってまでもダビデを訴えるようになる。順風の時にダビデが愛を注いだ人々も同じであった。このような状況は主イエスの裁判の場においても起こったことであり、罪ある人間社会の常であり、今日も起こり続けていることである。しかし主は、そのすべてを見ておられる。

2017/11/11(土)担当 高谷由紀子師 マタ11:28-30 新聖歌 281
 戦国の武将徳川家康は「人生とは重き荷を負うて遠き道を行くがごときなり」と言ったと伝えられています。イエス様の周りにも重荷を負い、疲れた人々があふれていました。このような人々を目の当たりにされたイエス様は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招かれました。イエス様は神の御子であられましたが、父なる神の御心に従い、罪の重荷に苦しむ人に救いを与える為に、自分を低くして人となり、十字架に架り、救いの御業を成し遂げてくださいました。このイエス様を救い主と信じることによってすべての罪の重荷から解放されるのです。


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