デボーションの友
デボーションの友 : 2017/8/14-19
投稿者 : takatani 投稿日時: 2017-08-13 23:01:14 (40 ヒット)
デボーションの友

2017/8/14(月) 担当 高谷清師 ヨハネ5:22-23 賛美 新聖歌 5
ヨハネは「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハ 1: 18)と述べた。神は御子を遣わすことによって、世にご自身をあらわされたのである。それ故、御子は「また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。」と語られる。御子を世に遣わされた神は、御子によって働かれる。御子を信じないことは神を信じないことであり、御子を敬わないことは神を敬わないことであり、御子を礼拝しないことは神を礼拝しないことである。御子に躓かない者でありたい。

2017/8/15(火) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書7:12-15  賛美 新聖歌327
 歴史から学べ、と語られている。かつて神がシロの聖所を破壊されたのは民が罪を犯したからであった。当時の人々同様に、神が送られた預言者の警告に耳を傾けずに民が罪を犯し続けるならば、エルサレムの神殿も神が同様になさると告げる。エルサレムの民もかつての北王国の人々と同様に、神から捨てられるとも言われる。これほど明確に歴史の実例を取り上げながら警告されたら、さすがに人々は彼らが置かれている現状がいかに危機的であるかに気付いて悔い改めるのではなかろうか。しかし現実にはエレミヤは神殿を冒涜したとして人々の怒りを買った。人々の中には期待された悔い改めは起こらなかったのである。
 歴史から学べ、というのは今日の私たちにとっても大切なことである。教会の長い歴史において、また現代の教会に起こっている事実において、クリスチャンにとって理解し難い、ひどい出来事を目にしたとき、安易に神を責める。しかしその時にこそ自らを省みるべき時であろう。

2017/8/16(水) 担当 高谷清師  ヨハネ 5: 24 賛美 新聖歌 40
 イエスは「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」と語っておられる。ヨハネは「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。」(ヨハ 3:17-18)と述べている。またパウロは「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ロマ 10:17)と述べている。キリストの言葉は、聞く者の内に信仰を生み出し、信仰は救いを、永遠の命を得させ、死から命に移らせる。日々、キリストのことばに耳を傾けよう。

2017/8/17(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書7:16-20  賛美 新聖歌396
 ここは「あなたはこの民のために祈ってはならない。」(7:16)という神からエレミヤに対する衝撃的な命令から始まる。預言者は神と民の間に立ってとりなす存在であった。エレミヤ書には預言者の嘆きの言葉が多く記されているとおり、エレミヤは同胞を深く愛し、彼らの罪を目の当たりにしながら深く心を痛めつつ、民のために神にとりなしを願う預言者であった。このエレミヤに対して神はとりなしを禁じ、民への共感を禁じられる。エレミヤが民に対して抱いていたつながりを絶つよう命じられているのである。このつながりをも犠牲にしろ、とはどれほどの痛みを強いることであっただろうか。エレミヤはこの痛みを通して、神が御自分の民を滅ぼすことを決意されたその痛みをも感じたのである。
 神と人々の間に立って御心を伝え、とりなしの祈りをするという働きは、クリスチャンにも委ねられている。しかしこの任を担うことは大変なことである。その厳しさを理解しつつ、なお神の御心を知り、与えられた働きに忠実でありたい。

2017/8/18(金) 担当 高谷清師  詩編34:1-4 賛美 聖歌 91
 嫉妬に狂うサウルに狙われたダピデは、国境を越えてペリシテの地に逃がれねばならなかった。ペリシテの地においては自国の勇士ゴリアテがダビデによって打ち取られ、自軍が敗退した記憶は鮮烈であった。アキシュの家臣はこの亡命者がダビデであることを見破り、ダビデをアキシュの前に引き立てた。絶体絶命の危機に立たされたダビデは、咄嗟の知恵によって狂人を装い、アキシュも深追いをしなかったため、ダビデは危機を逃れた。その背後に神の導きと支えのあったことを悟ったダビデは主を賛美している「どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。」と。そして「貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。」と語る。「貧しい人」とは信仰の友を指す。受けた恵みを分かちあい、共に聖名を崇めることは信仰の力となる。

2017/8/19(土)担当 高谷由紀子師 マタ19:23-26 賛美 新聖歌397
 イエスは弟子たちに「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」と言われました。主はかつての日に「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタ 6:21)と教えられました。またパウロは「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」(汽灰 15: 50)と述べています。金持ちは、その富に心を捕われがちです。しかし、地上の富は神の国を受け継ぐことはできないのです。私たちに富が与えられるなら、神に感謝して受けましょう。しかし、与えられた富に捕われないで常に神に目を注ぎ、御心の内を歩みましょう。


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