デボーションの友
投稿者 : takatani 投稿日時: 2017-07-02 22:47:33 (64 ヒット)
デボーションの友

2017/7/3(月) 担当 高谷清師  ヨハネ4:25-26 賛美 聖歌 273
 イエスが「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」と語られたのに対しサマリアの女は「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」と答える。サマリア人もまた聖書に約束されたメシアを待ち望んでいたのである。これにたいし主は「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」と語られる。メシアの到来の約束を知識として知っていた女はイエスとの出会いによって体験としてイエスを知った。私たちも日々祈りにより霊の交わりによって生けるキリストに接することが大切である。

2017/7/4(火) 担当 ラウジー満世師  エレミヤ書5:18-19  賛美 新聖歌200
 神の裁きとしてエルサレムが滅ぼされるその時でさえ、民はその災いの原因を悟らない。惨状は神からもたらされたことを分かっているようにも見えるが、逆にこの言葉さえ、訳が分からない中で神を責めているようでもある。いずれにしても全く自身の罪に気付かない民に対して、神は、民自身が与えられた約束の地である故郷で神を捨てるという罪を犯したのだから、今度は他国において神の裁きを受けなければならないと言われる。
 神の前で生きる時、私たちには神の愛と真実に対して「従う」ことが求められており、このことは何度も明確にみ言葉を通して伝えられている。神に背き続けるならば、最終的に神の定められたときに裁きを受ける。その時が来る前に罪があるならそれを知り、悔い改めて神と共に歩みたい。

2017/7/5(水) 担当 高谷清師  ヨハネ 4: 31-34 賛美 新聖歌 436
 女が去った後弟子たちはイエスに食事を勧めた。それに対し主は「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。いぶかる弟子たち対して主は更に「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。」と言われた。イエスは神から遣わされたお方である。「食べ物」は命を支える元である。イエスを遣わしたお方の御心は人を罪から解放することであり、贖いの御業を成就することであった。贖いの御業を成就し、甦られた主は『イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」(ヨハ 20:21-23)と語られた。私たちも主よって遣わされた者であり、その御心は罪の赦しを得させる福音を伝えることである。

2017/7/6(木) 担当 ラウジー満世師 エレミヤ書5:20-25  賛美 新聖歌374
 既にうんざりするほど神の裁きの言葉を聞いている。さらに神は民に対して彼らに「愚かで心ない民」(5:21)と呼びかける。ここでは重ねて「心」という言葉が使われる。民自身の現状を理解することがない、理性としての心を欠いた民である。この心は神に対してかたくなになり、理性をもって神の恵みを知ることすらないのである。偶像礼拝という罪は民の心のありようの結果として表に現れ出たものに過ぎない。彼らが罪を犯す原因は心が神から離れ、理性が閉ざされているからに過ぎない。
 他人が心を変えることは容易ではない。またかたくなになる心を自らの意志で変えることもほとんどの場合成功しない。人の心に触れ、神の前に正しく整えてくださるのは神ご自身であり、聖霊の働きである。主の前にひざまずき、神が今日も私たちの心を変えてくださるようにと求めよう。

17/7/7(金) 担当 高谷清師  詩編33:6-9 賛美 新聖歌 166
 ダビデは「御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。主は大海の水をせき止め/深淵の水を倉に納められた。全地は主を畏れ/世界に住むものは皆、主におののく。主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ。」と詠う。まことに、神は天地万物の創造者であり、支配者であられる。人間は自らが作り出したちっぽけな知識、技術を誇る。しかし東日本大震災では、技術の粋を結集して建設した堤防は瞬時に崩れ去った。パウロは「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」(汽灰1:20-24)と述べている。全能者にして創造者、支配者の前に膝をかがめよう。

2017/7/8(土)担当 高谷由紀子師 ルカ 12:13-15 賛美 新聖歌315
 金銭は人間が生活していくうえで無くてはならないものの一つです。しかし、人間の生活にとって唯一のものではありません。たしかに、金銭は地上における多くの欲望を満たすことが出来ます。その為金銭至上主義に走る人々が現れます。しかし金銭は私たちの最も必要なものを得させることはできないのです。主イエスは「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」と教えられました。パウロは「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。(汽謄 6:10)」と述べています。富が増し加わる時、人の心は富に捕えられ、神から離れ、信仰の破滅を招くのです。どんな時にも命の源である神様から離れないよう、歩みましょう。


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